百人一首第二十四番 菅原道真『このたびは』を情景と背景から完全解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?
平安時代の詩情あふれる一首、「このたびは」。
学問の神として知られる菅原道真が詠んだこの歌は、
手向山の紅葉を神への捧げ物に見立てた美しい情景と、
自然を通じて神に祈る謙虚な心が描かれています。
今回ご紹介するのは、第二十四番『このたびは』。平安時代の自然崇拝と道真の心情を感じながら、この和歌の魅力を味わってみましょう。

百人一首第二十四番 菅原道真『このたびは』を情景と背景から完全解説では、初心者の方にもわかりやすく、和歌の背景や楽しみ方を丁寧に解説していきます。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第二十三番 大江千里『月見れば』の記事も併せてご覧ください。
菅原道真の生涯と百人一首の背景
生涯について


菅原道真 – Wikipedia(845年 – 903年)は、
平安時代前期の学者・政治家・漢詩人です。
幼少より詩才に優れ、宇多天皇に重用され
右大臣にまで昇進しました。

しかし、藤原時平の讒言により大宰府に左遷され、現地で没しました。
歴史的イベント
道真は、894年に遣唐大使に任命されましたが、
唐の内乱や航海の危険性を理由に
遣唐使の停止を提言し、朝廷に承認されました。
一方、道真の左遷に関しては、
藤原時平の讒言が主な原因とされています。

時平は、道真が謀反を企てていると醍醐天皇に訴え、またこれが信じられた結果、道真は大宰府に左遷されました。この事件は「昌泰の変」と呼ばれています。

そして道真の左遷後、彼の無実を信じる人々の間で、彼を祀る天満宮が建立され、後に学問の神として広く信仰されるようになりました。
他の歌について
菅原道真は、学問の神として知られる一方、
多くの和歌を詠みました。
特に有名なものに、以下の歌があります。
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」

この歌では、道真が大宰府に左遷される際、庭の梅の花を見て詠んだもので、主人がいなくなっても春を忘れずに咲き続けてほしいという思いが込められています。
百人一首における位置付け
菅原道真の「このたびは」は
百人一首第二十四番に収録され、
学問の神として知られる道真が詠んだ自然と
信仰の調和が際立つ一首です。
また紅葉を神への捧げ物と見立て、
神への謙虚な祈りを表現した歌として
高く評価されています。
菅原道真がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第二十四番 菅原道真『このたびは』を情景と背景から完全解説では、菅原道真がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 急な旅立ちの中での祈り
- 自然への畏敬と感謝
- 神への謙虚な信頼
急な旅立ちの中での祈り
神に捧げる幣を用意する余裕がない状況で、
道真は自然そのもの、特に紅葉の美しさを
捧げ物と見立て、神に祈りを捧げました。
自然への畏敬と感謝
紅葉を錦のように表現することで、
自然が持つ美しさや神聖さを讃え、
自然そのものが神への贈り物となると
詠み上げています。
神への謙虚な信頼
「神のまにまに」という言葉で、
自身の運命を神の御心に委ねる道真の
謙虚な信仰心が込められています。

この和歌では、平安時代の自然崇拝や神に対する敬意が如実に表現された一首です。

また急な旅の中でも、紅葉の美しさに心を動かされた道真は、自然を通じて神に祈るという独特の発想を示しました。
この和歌は、神仏や自然と深く結びついた当時の精神性を象徴しており、和歌としての芸術性だけでなく、平安時代の信仰文化をも伝える貴重な作品です。
読み方と句意


百人一首 菅原道真
歌:このたびは ぬさも取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
読み:このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに
句意:急な旅で幣を用意できず、手向山の紅葉を捧げ物と見立て、神の御心に全てを委ねた祈りの心情を詠む。
この和歌の楽しみ方
百人一首第二十四番 菅原道真『このたびは』を情景と背景から完全解説では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 紅葉の美しさを感じる
- 神への信仰と自然崇拝を知る
- 道真の人間味に触れる
紅葉の美しさを感じる
紅葉を錦にたとえた表現から、
秋の山の鮮やかな美しさを想像できます。
そして自然の中に息づく詩情を味わいましょう。
この和歌では、紅葉を「錦」と表現することで、自然そのものが美しい布のように輝く情景が浮かびます。この表現は、平安時代の人々が自然をどれほど大切にし、美的感覚を持っていたかを教えてくれます。
神への信仰と自然崇拝を知る
神前に供える幣の代わりに紅葉を
見立てる道真の祈りの心を通じ、
平安時代の信仰文化を感じられます。
「神のまにまに」という言葉には、全てを神に委ねる深い信頼が込められています。また道真の祈りが、当時の自然と神を結びつけた信仰観をよく表しています。
道真の人間味に触れる
急な旅立ちにも関わらず、
自然を見立てて祈る発想は、
道真の柔軟な感性と深い人間性を感じさせます。
この和歌では、困難な状況下でも自然の美しさに心を動かされ、それを神に捧げる道真の姿は、彼がただの政治家や学者ではなく、感性豊かな詩人であったことを伝えています。
百人一首第二十四番『このたびは』の情景と解説
上の句(5-7-5)
上の句「このたびは ぬさも取りあへず 手向山」では、
急な旅立ちで供え物を準備できず、
紅葉の美しさを神への捧げ物と
見立てて手向山に祈りを捧げる情景が詠まれています。
五音句の情景と意味 「このたびは」


「このたびは」では、急な旅立ちの情景が浮かび、和歌全体の出発点として、切迫感と心の動揺を伝えています。
七音句の情景と意味 「ぬさも取りあへず」


「ぬさも取りあへず」では、神前に供える幣を用意できない状況が描かれ、簡素ながらも自然を捧げる祈りの心が感じられます。
五音句の情景と意味 「手向山」


「手向山」では、紅葉に彩られた手向山の荘厳な自然が広がり、神聖な場としての存在感が際立っています。
下の句(7-7)分析
下の句「