百人一首第二十五番 三条右大臣『名にし負はば』を情景と背景から完全解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?
第二十五番の「名にし負はば」の和歌は、
逢坂山という地名を掛詞に用い、
密かに恋人に会いたいという願いを詠んだものです。
今回ご紹介するのは、第二十五番『名にし負はば』。平安時代の貴族たちは、恋のやりとりにも優雅な表現を用い、その情熱を繊細に表しました。

百人一首第二十五番 三条右大臣『名にし負はば』を情景と背景から完全解説では、初心者の方にもわかりやすく、和歌の背景や楽しみ方を丁寧に解説していきます。

そして和歌の背景や言葉の意味を紐解きながら、この一首の魅力を深く味わってみましょう。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第二十四番 菅原道真『このたびは』の記事も併せてご覧ください。
三条右大臣の生涯と百人一首の背景
生涯について


藤原定方/三条右大臣 – Wikipedia(873年 – 932年)は、
平安時代前期から中期にかけて活躍した公卿・歌人です。
また内大臣・藤原高藤の次男として生まれ、
母は宮道列子です。
そして宇多天皇、醍醐天皇、朱雀天皇に仕え、
右大臣にまで昇進しました。

和歌や管弦に優れ、紀貫之や凡河内躬恒の後援者としても知られています。
歴史的イベント
藤原定方は、宇多天皇・醍醐天皇・朱雀天皇に仕え、
宇多朝の寛平4年(892年)に内舎人として官職を得ました。
醍醐天皇の即位(897年)に伴い右近衛少将に任命され、
延喜9年(909年)には参議として公卿入りしました。

さらに延喜13年(913年)には急速に昇進し中納言に、延喜20年(920年)には大納言に就任します。

ついに延長2年(924年)に右大臣となり、藤原忠平と並ぶ存在となりました。承平2年(932年)に薨去し、死後従一位が追贈されました。
他の歌について
三条右大臣は、和歌にも優れた才能を持ち、
『古今和歌集』に多くの歌が収められています。
「秋ならで あふことかたき 女郎花 天の河原に おひぬものゆゑ」では、
女郎花(おみなえし)を題材に詠まれた歌で、
七夕伝説を想起させるものです。

この歌では、「秋でなければ会うことが難しい女郎花(織姫)」と詠み、天の川のほとりに咲く花のように恋の機会が限られていることを嘆いています。

七夕の儚い恋に自身の境遇を重ねた繊細な表現が特徴的です。
百人一首における位置付け
百人一首第二十五番の「名にし負はば」は、
恋の切なさを巧みに詠んだ和歌として知られています。
また「逢坂山」と「逢う」「さねかづら」と
「さ寝」を掛けた技巧的な表現が特徴です。
そして平安貴族の秘めた恋情を象徴し、
優雅でありながらも切実な恋心が込められています。
三条右大臣がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第二十五番 三条右大臣『名にし負はば』を情景と背景から完全解説では、三条右大臣がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 密かな恋への願い
- 掛詞を用いた巧みな表現
- 叶わぬ恋の切なさ
密かな恋への願い
平安時代の恋は公にできないことが多く、
人目を忍んで会うことが求められました。
また「逢坂山」の名を借りて、誰にも知られずに
恋人のもとへ行きたいという願いを詠んでいます。
掛詞を用いた巧みな表現
「逢坂山」と「逢う」、「さねかづら」と
「さ寝」を掛けることで、恋の切なさと
願望を巧みに表現しています。
また地名や植物を用いることで、
平安時代の和歌の美学が生かされています。
叶わぬ恋の切なさ
人目を避けたいという願いは、
実際には叶わぬ恋であることを暗示しています。
貴族社会の制約の中で、
自由に愛を語ることができない
切なさが込められています。

この和歌では、平安時代の貴族たちが直面していた恋の制約を反映したものです。また当時の恋は、人目を忍びながら手紙や和歌を交わす形が主流でした。

そして三条右大臣は、和歌の技巧を駆使し、地名と掛詞を用いて、恋の願いと叶わぬ切なさを見事に表現しました。
現代でも、秘めた恋の切なさや願いを抱える人にとって共感できる一首となっています。
読み方と句意


百人一首 三条右大臣
歌:名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな
読み:なにしおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな
句意:誰にも知られずに、あなたに会いに行きたい。逢坂山の名のように、人目を忍んで逢える方法があればよいのに。
この和歌の楽しみ方
百人一首第二十五番 三条右大臣『名にし負はば』を情景と背景から完全解説では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 掛詞の美しさを味わう
- 平安時代の恋愛観を知る
- 風景を想像しながら詠む
掛詞の美しさを味わう
「逢坂山」と「逢う」、「さねかづら」と
「さ寝」を掛けた技巧的な表現が見どころです。
この和歌は掛詞を用いた技巧的な表現が魅力です。また「逢坂山」と「逢う」、「さねかづら」と「さ寝」を重ねることで、恋の切なさと願望を巧みに表現しています。そして和歌の表現技法に注目することで、平安貴族の感性をより深く理解できます。
平安時代の恋愛観を知る
人目を忍びながら想いを
交わすのが貴族の恋愛でした。
当時の貴族の恋愛は、直接会うことが難しく、歌や手紙を通じて思いを伝えるのが一般的でした。この和歌では、密やかな恋の願望と切なさを見事に表現しています。そして現代の感覚とは異なる、風雅で奥ゆかしい恋のあり方を感じ取ることができます。
風景を想像しながら詠む
逢坂山を実際の景色と重ねてみると、
和歌の世界がより広がります。
この和歌では、実際の逢坂山を思い浮かべることで、和歌の情景がより鮮明になります。静かな山道を歩く恋人の姿や、誰にも知られずに会いたいという切実な願いが、風景とともに浮かび上がります。和歌の持つ情景美を楽しみながら読むと、より一層味わい深くなります。
百人一首第二十五番『名にし負はば』の情景と解説
上の句(5-7-5)
上の句「名にし負はば 逢坂山の さねかづら」では、
逢坂山と植物のさねかづらを掛けて、
恋の情景を描いています。
五音句の情景と意味 「名にし負はば」


「名にし負はば」では、名前にふさわしい意味を持つのならばという意味。ここでは、逢坂山の「逢う」という名が、恋人と逢う場所としての意味を持つかどうかを問いかけています。
七音句の情景と意味 「逢坂山の」


「逢坂山の」では、逢坂山は、京都と近江を隔てる山で、都と地方をつなぐ重要な場所でした。また「逢う」という言葉を掛け、秘めた恋の待ち合わせの場所として描かれています。
五音句の情景と意味 「さねかづら」


「さねかづら」では、さねかづらはツル性の植物で、人と人の縁や結びつきを象徴します。そして恋人と強く結ばれたいという願いが込められ、逢坂山の情景と重ねられています。
下の句(7-7)分析
下の句「