百人一首第二十八番 源宗于『山里は』を情景と背景から完全解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?
古の人々が詠んだ和歌には、
時代を超えて心に響く情景や感情が込められています。
今回ご紹介するのは、第二十八番『山里は』。冬の山里の静寂が、身にしみるような孤独を映し出す一首です。

百人一首第二十八番 源宗于『山里は』を情景と背景から完全解説では、初心者の方にもわかりやすく、和歌の背景や楽しみ方を丁寧に解説していきます。

自然と人の心情が重なり合う世界を読み解きながら、和歌の魅力をより深く味わってみませんか?それでは、この和歌の情景と背景を詳しく見ていきましょう。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第二十七番 中納言兼輔『みかの原』の記事も併せてご覧ください。
源宗于の生涯と百人一首の背景
生涯について


源宗于 – Wikipedia(生年不詳 – 940年)は、
平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人です。
光孝天皇の孫で、是忠親王の子として生まれました。
894年(寛平6年)に臣籍降下し、
従四位下に叙せられました。

その後、伊勢権守などの地方官を歴任し、933年(承平3年)には右京大夫に任じられ、939年(天慶2年)に正四位下に昇進しました。同年11月23日に亡くなりました。
歴史的イベント
源宗于は、光孝天皇の孫として生まれ、
894年(寛平6年)に臣籍降下しました。
その後、地方官を歴任し、地方統治に尽力しました。
特に、信濃権守や伊勢権守としての勤務は、
当時の地方行政に深く関わったことを示しています。

また、承平・天慶の乱(939年)の時期に右京大夫として都にあり、乱の影響を受けた可能性があります。

そして和歌にも優れ、『後撰和歌集』に多くの歌が収録され、百人一首にも選ばれました。
他の歌について
源宗于は、寂寥感や自然を通じた
心情表現に優れた歌人であり、
『後撰和歌集』などに多くの歌を残しています。
「沖つ風ふけゐの浦に立つ浪のなごりにさへやわれはしづまぬ」では、
沖から吹く風が吹井(ふけゐ)の浦に波を立て、
その余韻さえも心をかき乱すと詠んでいます。

この表現は、彼の内面的な揺らぎや、忘れがたい恋の未練を象徴するものです。

百人一首の「山里は」と同様に、孤独や静寂の中で深まる感情を詠んでおり、源宗于の和歌には、季節の変化や風景を通じて人の心を映し出す繊細な感性が見られます。
百人一首における位置付け
源宗于の「山里は」は、冬の寂寥を詠んだ叙景歌として、
百人一首の中でも特に静けさを際立たせる一首です。
人の訪れもなく、草も枯れた冬の山里の孤独な風情を描き、
四季の移ろいと人の心の寂しさを重ねた表現が魅力です。
源宗于がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第二十八番 源宗于『山里は』を情景と背景から完全解説では、源宗于がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 孤独な冬の山里の風景を詠む
- 孤独と季節の移ろいを重ねる
- 寂寥感を通して情緒を伝える
孤独な冬の山里の風景を詠む
冬の山里は、秋とは異なり人の訪れも少なく、
草木も枯れて静まり返っています。
また宗于はその寂しさを、ひっそりとした
自然の情景として表現しました。
そして人の気配すら絶えた冬の山里は、
心にも静寂をもたらし、物悲しさを際立たせています。
孤独と季節の移ろいを重ねる
「人目も草もかれぬ」とは、人も去り、
草木も枯れた様子を表しています。
またこれは単なる自然描写ではなく、
人生の儚さや孤独を象徴しているとも考えられます。
そして冬が訪れることで感じる寂しさを、
山里の風景と自身の心情を重ね合わせて詠んだのでしょう。
寂寥感を通して情緒を伝える
冬の山里の厳しさを伝えつつ、
その静けさに漂う趣も感じさせる一首です。
また寂しさは辛いものでもありますが、
宗于はその情感を美しく詠み上げることで、
読者に共感を呼び起こし、冬の風景の
持つ静謐な魅力を伝えようとしています。

この和歌では、冬の山里の静けさを通じて、人の世の寂しさを象徴的に表現しています。また人が去り、草も枯れるという描写は、人生の儚さや孤独の深まりをも感じさせます。

そしてこの寂寥感の中には、どこか風情があり、静かに心を落ち着かせる要素も含まれています。
源宗于は、自然の景色を通して、時の流れや人の心の変化を見事に映し出したといえるでしょう。
読み方と句意


百人一首 源宗于
歌:山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
読み:やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば
句意:冬の山里は、人の訪れもなく、草木も枯れ、秋以上に寂しさが増すものだと詠んでいる。
この和歌の楽しみ方
百人一首第二十八番 源宗于『山里は』を情景と背景から完全解説では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 季節の移ろいと寂しさの対比
- 「人目」と「草」の象徴的な意味
- 余韻を楽しむ静けさの美
季節の移ろいと寂しさの対比
冬の山里は、秋以上に寂しさが
際立つと詠まれています。
秋は紅葉の美しさがありましたが、
冬になると人の気配も消え、
草木も枯れ、静寂が一層深まります。
この対比を感じながら読むことで、四季の移ろいの情感がより豊かに伝わってきます。
「人目」と「草」の象徴的な意味
この和歌では「人目」と「草」が共に
「かれる」と表現されています。
「人目」は訪れる人々の気配、
「草」は自然の生命力を象徴しています。
人間と自然の営みが重ね合わされ、冬の寂寥感が巧みに表現されています。
余韻を楽しむ静けさの美
この和歌では、音の少ない冬の風景を描きながら、
静けさの中に広がる感情を巧みに表現しています。
読み手は、自分自身の経験と重ね合わせながら、しんとした冬の山里の情景を心に浮かべ、余韻を楽しむことができます。
百人一首第二十八番『山里は』の情景と解説
上の句(5-7-5)
上の句「山里は 冬ぞ寂しさ まさりける」では、
冬の山里の寂しさを強調しています。
また秋の紅葉が終わり、
冬になると訪れる人もなく、
景色も枯れ果ててしまう様子が表現されています。
そして山里の静寂がひときわ際立ち、
孤独感が深まる情景が広がります。
五音句の情景と意味 「山里は」


「山里は」では、人里離れた山間の村や庵を指し、もともと静かな場所ですが、冬になるとその静けさがさらに強調され、ひっそりとした情景が際立ちます。
七音句の情景と意味 「冬ぞ寂しさ」


「冬ぞ寂しさ」では、冬になると、寒さと共に人の往来が減り、山里の孤独感が一層増します。また秋の風情とは異なり、生気が失われた寂寥感が広がっています。
五音句の情景と意味 「まさりける」


「まさりける」は「増していく」の意味で、季節が移るにつれて寂しさが深まる様子を表しています。冬の到来とともに、静けさと孤独感が強まることが伝わります。
下の句(7-7)分析
下の句「人目も草も かれぬと思へば」では、
冬の山里は、ただでさえ人の訪れが少ない場所ですが、
寒さが厳しくなると人の往来が途絶え、
草木も枯れ果ててしまいます。
その光景を目の当たりにすると、
寂しさがさらに募ります。
七音句の情景と意味「人目も草も」


「人目も草も」では、人々の訪れがなくなり、草木も枯れてしまう様子を表しています。また山里にとって、人の気配も草の緑も賑わいの象徴ですが、それが両方失われてしまいます。
七音句の情景と意味「かれぬと思へば」


「かれぬと思へば」では、「枯れる」は草木の枯死、「離れる」は人の不在を表し、二重の意味を持ちます。すべてが去ってしまうと実感すると、より一層寂しさが募ることを詠んでいます。
和歌全体の情景


和歌全体では、冬の山里の静けさと寂しさを深く描いています。秋までは草木が生い茂り、人の往来もあった山里ですが、冬になると草は枯れ、人の気配も消えてしまいます。そのため、寂しさが一層増して感じられるのです。「人目も草もかれぬと思へば」という表現により、視覚的な枯れた景色だけでなく、心の寂しさまで伝わってきます。
まとめ
この和歌は、冬の山里の寂しさを
繊細に表現しています。
草木が枯れ、人の訪れもなくなった静寂の中で、
秋までのにぎわいが遠いものとなり、
一層の孤独が胸に迫ります。

自然の移り変わりとともに、人の心情も変わることを示し、四季の情緒を感じさせる一首です。

百人一首第二十八番 源宗于『山里は』を情景と背景から完全解説を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。