百人一首第三十六番 清原深養父『夏の夜は』で、
和歌の世界を旅してみませんか?
百人一首には、四季折々の情景や人々の想いが
美しく詠み込まれています。
清原深養父の「夏の夜は」では、
夏の短い夜に感じる儚さと、
月の行方を想う風流な心が表現されています。
今回ご紹介するのは、第三十六番『夏の夜は』。この歌では、まだ宵のうちだと思っているうちに明けてしまい、月がどこに宿るのかも分からない—そんな一瞬の移ろいが詠まれています。

百人一首第三十六番 清原深養父『夏の夜は』を情景と背景から完全解説では、初心者の方にもわかりやすく、和歌の背景や楽しみ方を丁寧に解説していきます。

この歌を通して、時の流れの速さや、見えぬものを想う和歌の魅力を感じてみませんか?
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第三十五番 紀貫之『人はいさ』の記事も併せてご覧ください。
清原深養父の生涯と百人一首の背景
生涯について


清原深養父 – Wikipedia(生没年不詳)は、
平安時代中期の貴族であり和歌人です。
官位は従五位下・内蔵大允を務めました。
そして清原氏の出身で、子孫には清原元輔や清少納言がいます。

中古三十六歌仙および『百人一首』の歌人の一人であり、41首の作品が勅撰和歌集に収められています。
歴史的イベント
清原深養父は、平安時代中期の歌人であり、
清少納言の曽祖父としても知られています。
彼は中古三十六歌仙の一人に数えられ、
『古今和歌集』には17首が収められています。
また、百人一首にもその作品が選ばれています。

彼の孫である清原元輔は、梨壺の五人の一人として『後撰和歌集』の編纂に携わり、曾孫の清少納言は『枕草子』の作者として知られています。

このように、深養父の家系は文学的才能に恵まれた家柄であったことが窺えます。
他の歌について
清原深養父は、平安時代中期の歌人で、
『古今和歌集』や『後撰和歌集』などに
作品が収められています。
彼の和歌は、自然の情景を繊細に描写しつつ、
人の心情を重ね合わせる表現が特徴的です。

例えば、「花ちれる 水のまにまに とめくれば 山には春も なくなりにけり」という歌では、散った花が川の流れに乗って漂う様子を詠んでいます。

そしてその花を追って山へと春を探しに行くと、既に春は過ぎ去っていたことを嘆いています。
この歌から、深養父の自然に対する鋭い観察眼と、
それを通じて人の感情を表現する巧みさが伺えます。
百人一首における位置付け
清原深養父は、
『古今和歌集』の代表的歌人の一人であり、
三十六歌仙にも数えられる優れた和歌詠みでした。
また彼の作風は、自然の情景を巧みに描写しつつ、
人の心情を繊細に表現する点に特徴があります。
そして『百人一首』においては、
夏の短い夜の儚さを詠んだ一首が選ばれており、
季節の移ろいと時間の流れを詠む
深養父の詩的感覚が際立っています。
清原深養父がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第三十六番 清原深養父『夏の夜は』を情景と背景から完全解説では、清原深養父がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 夏の夜の短さを詠む
- 月の行方への思索
- 移ろいゆく時の儚さ
夏の夜の短さを詠む
夏の夜は、日が暮れるのが遅く、夜が明けるのも早いため、
宵のうちにすぐに朝になってしまいます。
この和歌では、その短さに驚きつつも、
夜が終わる切なさを詠んでいます。
夏ならではの時間の流れを感じさせる一首です。
月の行方への思索
夜が明けるのが早いため、
月の行方が気になる様子が描かれています。
またまだ夜が更けきらないうちに明けてしまったため、
月はどこへ宿るのだろうかと、
幻想的な問いかけをしています。
そして見えなくなったものへの想いが込められています。
移ろいゆく時の儚さ
夜が明けることで、闇とともに月も姿を
消してしまうことが、物事の無常を象徴しています。
また短い夜と、消えゆく月の姿が、時の流れの速さや、
人生の儚さを感じさせます。
そしてこの視点が、深養父の和歌の特徴でもあります。

この和歌では、夏の夜の短さに驚きつつ、消えゆく月の行方を思う繊細な情感が込められています。

そして月はしばしば、見えなくなったものへの思慕や無常観を象徴する存在として詠まれます。
深養父は、時間の流れや人生の儚さを重ねることで、より深みのある表現を生み出しました。この一首は、四季の変化とともに移ろう心情を、静かに訴えかける作品となっています。
読み方と句意


百人一首 清原深養父
歌:夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
読み:なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづこに つきやどるらむ
句意:夏の夜は短く、まだ宵のうちに明けてしまった。消えゆく月は、一体どこの雲間に宿っているのだろうかと儚く思うと詠んでいます。
百人一首 清原深養父『夏の夜は』の楽しみ方
百人一首第三十六番 清原深養父『夏の夜は』を情景と背景から完全解説では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 夏の夜の儚さを感じる
- 月と雲の関係を想像する
- 季節感と時間の移ろいを楽しむ
夏の夜の儚さを感じる
夏の夜は短く、まだ宵のうちに明けてしまうため、
月がどこへ消えたのかと思うほど一瞬の出来事です。
この儚さが、時の流れの速さや人生の無常を感じさせ、詩的な余韻を生み出します。
月と雲の関係を想像する
「雲のいづこに月宿るらむ」という表現は、
雲に隠れた月を探す情景を生み出します。
実際には見えない月の行方を想像することで、読者の心に幻想的なイメージを広げ、静かな夜の情景を深く味わえます。
季節感と時間の移ろいを楽しむ
夏の夜の短さに焦点を当てることで、
季節の特徴を感じさせます。
秋や冬とは違い、明けるのが早い夏ならではの風情があり、夜の静けさと朝の訪れの対比を意識すると、さらにこの歌の美しさが際立ちます。
百人一首 清原深養父『夏の夜は』の情景と解説
上の句(5-7-5)
上の句「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを」では、
夏の夜は、宵のうちからすぐに明けてしまい、
夜の短さが際立ちます。
またまだ楽しむ間もなく、
夜が終わってしまう儚さが強調されています。
そしてこの一瞬の出来事が、夏特有の季節感を表し、
読者に夜の移ろいの速さを実感させます。
五音句の情景と意味 「夏の夜は」


「夏の夜は」では、夏の夜は、他の季節に比べて特に短く、あっという間に過ぎ去るものです。
七音句の情景と意味 「まだ宵ながら」


「まだ宵ながら」では、宵の時間のうちに夜が終わり、朝が来てしまう様子を強調しています。
五音句の情景と意味 「明けぬるを」


「明けぬるを」では、夜が明けてしまったことを惜しむようなニュアンスが込められています。
下の句(7-7)分析
下の句「雲のいづこに 月宿るらむ」では、
夜があまりにも早く明けてしまい、
月がどこに宿っているのか分からなく
なってしまったという情景を詠んでいます。
また雲が広がる空に目を向けながら、
消えゆく月の行方を思う様子が描かれており、
夏の夜の儚さや幻想的な雰囲気が強調されています。
七音句の情景と意味「雲のいづこに」


「雲のいづこに」では、夜が明けてしまい、月の行方を探しながら、雲のどこにあるのかと問いかけています。
七音句の情景と意味「月宿るらむ」


「月宿るらむ」では、雲の中に隠れた月が、どこに宿っているのか想像する余韻が漂います。
百人一首 清原深養父『夏の夜は』和歌全体の情景


和歌全体では、夏の夜の短さを嘆くとともに、月の行方を探す幻想的な情景を詠んでいます。またまだ宵のうちだと思っていたのに、あっという間に夜が明け、月がどこに隠れてしまったのか分からなくなってしまう。そしてそんな儚い夏の夜の移ろいが、雲に宿る月の姿とともに描かれています。
まとめ
この和歌は、夏の夜の儚さと月の行方を重ね、
移ろいゆく時間の美しさを詠んでいます。
またまだ宵だと思っていたのに、
気づけば夜が明け、月の姿も見えなくなってしまう。
そしてその変化の速さが、夏の夜特有のはかなさを
際立たせています。

雲に隠れる月を探す情景では、夢のように過ぎ去る時間への名残惜しさも込められています。清原深養父の繊細な感性が光る、静かで情緒豊かな一首です。

百人一首第三十六番 清原深養父『夏の夜は』を情景と背景から完全解説を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。