百人一首第三十八番 右近『忘らるる』で、
和歌の世界を旅してみませんか?
第三十八番に選ばれた右近の和歌「忘らるる」。
この歌は、恋人に忘れられた悲しみを詠んだ一首です。
今回ご紹介するのは、第三十八番『忘らるる』。この歌では、自分が忘れられることよりも、愛を誓った相手が神の罰を受けるのではないかと案じる心情が込められています。

百人一首第三十八番 右近『忘らるる』を情景と背景から完全解説では、初心者の方にもわかりやすく、和歌の背景や楽しみ方を丁寧に解説していきます。

恋の苦しみと相手を思う切なさが交錯するこの和歌を、歌人・右近の背景や平安時代の恋愛観とともに、詳しく解説していきます。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第三十七番 文屋朝康『白露に』の記事も併せてご覧ください。
右近の生涯と百人一首の背景
生涯について


右近 (歌人) – Wikipedia(生没年不詳)は、
平安時代中期の歌人で、女房三十六歌仙および
『百人一首』の歌人の一人です。
また父は藤原季縄とされ、
中宮藤原穏子に仕えた女房でした。

そして『古今和歌集』などの勅撰和歌集に9首の和歌が収録されています。
右近は、若い頃に元良親王と恋愛関係があったと伝えられています。この和歌には、平安時代の恋愛観が色濃く反映されており、当時の宮廷文化を感じることができます。
ぜひ、同じ時代に活躍した元良親王の和歌も併せてお楽しみください!
歴史的イベント
右近は、醍醐天皇の皇后・藤原穏子に仕え、
宮廷文化の中心で活躍した歌人です。
承平三年(933年)には康子内親王の裳着屏風歌を詠進し、
天徳四年(960年)の内裏歌合では方人として参加しました。

また、応和二年(962年)や康保三年(966年)の歌合にも出詠し、朱雀・村上天皇の宮廷歌壇で活躍しました。

そして彼女の和歌は『後撰集』『拾遺集』『新勅撰集』などに収録され、女流歌人としての確かな地位を築きました。
他の歌について
右近は『後撰和歌集』に、
「とふことを待つに月日はこゆるぎの磯にや出でて今はうらみむ」
という和歌を残しています。
この歌も百人一首の和歌と同様に、
恋人からの訪れを待ち続ける切なさと、
叶わぬ思いの嘆きを詠んでいます。

また長い時間を待ち続けても、まるで動かぬ磯のように状況は変わらず、ついには恨みへと変わる心情が描かれています。

右近の和歌には、恋に翻弄される平安時代の女性の心が色濃く表れています。
百人一首における位置付け
右近の和歌は、
恋の切なさと誓いの重さを詠んだ名歌として
百人一首に選ばれています。
また自らが忘れられることよりも、
愛を誓った相手が神罰を受けることを案じる心情が表現され、
平安時代の恋愛観をよく伝えています。
女流歌人の作品としても貴重な一首です。
右近がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第三十八番 右近『忘らるる』を情景と背景から完全解説では、右近がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 恋の悲しみと誓いの重さを表現するため
- 平安時代の恋愛観を反映している
- 女流歌人としての感情表現の巧みさ
恋の悲しみと誓いの重さを表現するため
愛する人に忘れられた悲しみを詠んでいますが、
自分が捨てられたことよりも、
誓いを破った相手の運命を案じている点が特徴です。
平安時代の恋愛では、神仏の誓いが重視されており、
それを破ることは天罰を招くと考えられていました。
平安時代の恋愛観を反映している
当時の恋愛は「忍ぶ恋」が主流で、
男女が密かに想いを交わすものでした。
また右近の和歌は、
一度交わした誓いがどれほど大切なものだったかを
示しており、相手への恨みよりも、
誓いの重みを強調している点が特徴です。
女流歌人としての感情表現の巧みさ
右近は『後撰和歌集』や『拾遺和歌集』
にも恋の歌を残していますが、
この和歌では、
自身の痛みよりも相手の運命を憂う気持ちを
優先させています。
これは、単なる失恋の悲しみではなく、
誠実な愛と誓いの大切さを表現したものといえます。

右近の和歌は、平安時代の恋愛における「誓い」の重要性を表現したものです。当時、愛を誓うことは単なる感情ではなく、神仏の前での約束とされていました。

そのため、それが破られたとき、相手の不誠実さだけでなく、誓いを破ったことで降りかかるであろう運命まで案じる姿勢が見られます。
右近は、この一首で恋の悲しみだけでなく、平安貴族の精神性をも巧みに詠み込んでいるのです。
読み方と句意


百人一首 右近
歌:忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
読み:わすらるる みをばおもはず ちかひてし ひとのいのちの をしくもあるかな
句意:忘れられることは構わないが、誓いを破ったあなたが神罰を受けるかもしれないことを思うと、惜しくてならないと詠んでいます。
百人一首 右近『忘らるる』の楽しみ方
百人一首第三十八番 右近『忘らるる』を情景と背景から完全解説では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 恋の悲しみと誓いの重さを味わう
- 平安時代の恋愛観を知る
- 女流歌人の繊細な感情表現を楽しむ
恋の悲しみと誓いの重さを味わう
この和歌では、
失恋の悲しみよりも「誓い」の重みが強調されています。
ただの恨みではなく、かつて愛を誓い合った
相手の運命を案じる心が詠まれています。
平安時代の人々が、恋愛において神仏との誓いをどれほど大切にしていたかを感じることができます。
平安時代の恋愛観を知る
当時の恋愛は忍ぶ恋が基本で、
男女の関係は秘められるものでした。
しかし、誓いを交わした恋は深い意味を持ち、
それを破ることは神罰を招くと考えられていました。
この和歌は、誓いの重さと、それが破られたときの悲しみを伝える貴重な作品です。
女流歌人の繊細な感情表現を楽しむ
右近の和歌は、
ただの失恋の嘆きではなく、
相手を思いやる優しさや
誠実さが込められているのが特徴です。
自らの悲しみを前面に出すのではなく、誓いを破った相手が受けるであろう運命を惜しむという、繊細で奥深い表現を味わうことができます。
百人一首 右近『忘らるる』の情景と解説
上の句(5-7-5)
上の句「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし」では、
愛する人に忘れられてしまったことを知りながらも、
自分が捨てられたこと自体を気にしてはいません。
それよりも気がかりなのは、かつて交わした誓いです。
またその誓いを破ったことで、相手が神仏の罰を
受けるかもしれないという思いが、心を満たしています。
五音句の情景と意味 「忘らるる」


「忘らるる」では、愛した人に忘れられた悲しみが漂います。しかし、それを嘆くのではなく、別の視点での憂いを抱いていることが、この和歌の特徴です。
七音句の情景と意味 「身をば思はず」


「身をば思はず」では、自分が捨てられたことは問題ではなく、本当に気にかかるのは、誓いを破った相手の運命です。誇り高い想いが伝わります。
五音句の情景と意味 「誓ひてし」


「誓ひてし」では、二人が愛を誓った、かつての大切な瞬間が思い出されます。またこの誓いがあったからこそ、今の心の痛みがより深まっているのです。
下の句(7-7)分析
下の句「人の命の 惜しくもあるかな」では、
愛を誓った相手が、その誓いを
破ったことで神仏の罰を受け、
命を落とすのではないかと案じています。
自分が忘れられることよりも、
誓いを破ったことで相手が受けるかもしれない運命を惜しむ。
その切ない思いが、この下の句に込められています。
七音句の情景と意味「人の命の」


「人の命の」では、誓いを破った相手の命が危ういかもしれない、という思いがにじみます。また平安時代の人々にとって、誓いは単なる約束以上のものでした。
七音句の情景と意味「惜しくもあるかな」


「惜しくもあるかな」では、愛した人の命が失われることを、悲しく思う気持ちが表れています。恨むのではなく、惜しむという視点に、右近の優しさが感じられます。
百人一首 右近『忘らるる』和歌全体の情景


和歌全体では、愛する人に忘れられてしまったが、それ自体を嘆いているのではありません。本当に気がかりなのは、二人がかつて交わした誓いです。その誓いを破ったことで、相手が神仏の罰を受け、命を落とすのではないかと案じています。恋の悲しみを超えて、かつて愛した人の行く末を憂う心情が、この歌の最大の特徴です。
百人一首 右近『忘らるる』まとめ
右近の和歌は、
恋の悲しみよりも誓いの重みを強調した一首です。
平安時代の恋愛では、
神仏の前での誓いが重要視され、
それを破ることは運命に影響を
及ぼすと考えられていました。

この和歌では、捨てられた自分の悲しみではなく、誓いを破った相手の命を案じるという、深い愛情と誠実な思いが込められています。単なる失恋の嘆きではなく、誓いの意味を問う奥深い和歌として、百人一首に名を残しています。

百人一首第三十八番 右近『忘らるる』を情景と背景から完全解説を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。
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