百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』背景解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?
第54番は、儀同三司母の「忘れじの」。
愛する人の「忘れない」という誓いを信じたからこそ、
それが叶わぬときの痛みは深く胸に残ります。
今回ご紹介するのは、百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』。この一首は、裏切られる前に命を終えたいという切なる願いを、静かで強い覚悟として詠んだ恋の歌です。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第53番 藤原道綱母『嘆きつつ』記事も併せてご覧ください。
儀同三司母の生涯と百人一首の背景
生涯について


高階貴子|儀同三司母 Wikipedia(生年不詳-996年頃)は、
平安時代中期の女流歌人で、円融天皇に仕えた内侍。
関白・藤原道隆の正室となり、
伊周・隆家・定子らをもうけました。
また和歌や漢詩に秀で、
女房三十六歌仙にも選ばれています。

そして百人一首に選ばれた「忘れじの」は、彼女の恋の切なさと覚悟を詠んだ一首です。
歴史的イベント
儀同三司母は、
円融天皇に仕えた内侍であり、
のちに藤原道隆の正室となりました。
しかし夫の道隆が他の女性との関係を深める中で、
愛されない寂しさや裏切りへの不安を
感じるようになります。

またその心の揺れが「忘れじの」に込められた切実な感情につながりました。そして彼女の和歌は、女性の立場から見た恋の覚悟と痛みを鮮やかに映し出しています。
他の歌について
儀同三司母は『後拾遺和歌集』に、
「ひとりぬる人や知るらむ 秋の夜を ながしと誰か 君につげつる」
という歌を残しています。
この歌もまた、
一人で夜を過ごす寂しさと、通じない想いを
詠んだ恋の歌です。
また「忘れじの」のように、
愛する人との距離感と、自らの心の深さの違いに
気づく苦しみが滲んでいます。

そしてどちらの歌も、女性の内に秘めた痛みを静かに描いており、読み手の胸に余韻を残します。
百人一首における位置付け
「忘れじの」は、
女性の視点から詠まれた誓いと別れの歌として、
百人一首の中でも異彩を放つ一首です。
また相手の言葉を信じたゆえの覚悟と痛みがにじみ、
平安女性の恋愛の不自由さと誇りを静かに伝えます。
そして感情の奥行きと誓いの重みが共鳴する名歌です。
儀同三司母がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』背景解説–忘れぬ想いでは、儀同三司母がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 相手の誓いを信じたから
- 恋の終わりを悟ったから
- 女性としての矜持を貫いた
相手の誓いを信じたから
「忘れない」と言われたその言葉を信じたからこそ、
裏切られる前に終わりたいという覚悟が生まれました。
また相手への信頼と、
その裏返しの不安が同居しています。
恋の終わりを悟ったから
言葉とは裏腹に、相手の心が離れていく
気配を感じ取ったのでしょう。
恋の終わりを予感した瞬間の悲しみと、静かな諦めが
この一首には込められています。
女性としての矜持を貫いた
誓いを破られるくらいなら、
いっそ今日限りで命を絶ちたい。
それは失望ではなく、誇りと覚悟の表れ。
一人の女性としての強さと美意識が光ります。

この和歌では、愛する人への信頼・失望・そして誇りが静かに織り込まれています。

また「忘れじ」と誓った相手の言葉を疑いながらも、それを真に受けてしまう心の揺らぎ。そしてその誓いが守られぬならば、この日のうちに命を絶ちたいという潔さ。
恋に生きることを誇りとした平安女性の覚悟と感受性の深さが、この一首からは伝わってきます。
読み方と句意


百人一首第 高階貴子|儀同三司母
歌:忘れじの ゆく末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
読み:わすれじの ゆくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな
句意:「忘れない」と誓った言葉が破られるくらいなら、今日限りで命を終えたい──
百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』の楽しみ方
百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』背景解説–忘れぬ想いでは、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 「誓い」の重さを味わう
- 恋の覚悟を読み取る
- 女性の視点で読む
「誓い」の重さを味わう
「忘れない」と言われることが、
どれほど救いになり、
また裏切られたときに傷になるのか。
言葉に寄せる信頼と、そこから生まれる心の揺らぎが
この歌には繊細に描かれています。
古典的な恋の形が、
現代にも響くのはこの言葉の力ゆえです。
和歌における「言葉」は、時に命と同じくらいの重みを持ちます。約束された言葉の強さと脆さに目を向けて読むことで、平安時代の恋愛観の繊細さが見えてきます。
恋の覚悟を読み取る
命を懸けてもいいと思えるほどの恋。
それは単なる未練ではなく、
誇りと信念を持って相手を想い続ける心の強さです。
和歌の美しさの中にある、
生き方としての恋に注目してみましょう。
「今日を限りの命ともがな」という表現は、ただの嘆きではありません。愛に生き、愛に死すという強い覚悟と誇りを感じ取りながら読むと、歌の深さが際立ちます。
女性の視点で読む
平安時代の女性たちは、
自らの想いを直接伝える術が限られていました。
だからこそ、
和歌に込められた思いは純粋で、深く、鋭い。
この歌を通して、
時代を越えた女性の心の声を感じてみてください。
平安女性がどれほど強く、繊細に恋を受け止めていたか──。この歌には、待つ側の苦しみとそれを超える誇りが描かれています。現代にも通じる感情の重なりに共感が深まります。
百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「忘れじの ゆく末までは かたければ」では、
愛する人が「忘れない」と誓ってくれた言葉。
その言葉にすがるような想いで未来を信じようとするも、
その誓いが続くことは難しいと知っている。
信じたい心と現実の狭間で揺れる切なさがにじむ情景です。
五音句の情景と意味 「忘れじの」


「忘れじの」では、「忘れません」という恋人の誓いをそのまま信じたい。そして短い言葉に託された願いと期待がにじむ句の入りです。
七音句の情景と意味 「ゆく末までは」


「ゆく末までは」では、その誓いが、はるか先の未来まで続くことを願う心。そして時間の経過の中でも変わらぬ想いを望む情景です。
五音句の情景と意味 「かたければ」


「かたければ」では、けれど、永遠の誓いは難しいと気づいている。また続かないことへの諦めと、静かな哀しみが漂います。
下の句(7-7)分析
下の句「今日を限りの 命ともがな」では、
誓いが破られる未来を見るくらいなら、
今この瞬間に命を終えたい──。
悲しみと覚悟が混じり合う決意の言葉です。
誠実な想いが報われぬ苦しさと、
それを受け入れる強さが、
静かな語り口に滲んでいます。
七音句の情景と意味「今日を限りの」


「今日を限りの」では、「この日を人生の終わりにしたい」と願うほどの覚悟。また未来に対する絶望と、それを断ち切る決心が込められています。
七音句の情景と意味「命ともがな」


「命ともがな」では、その誓いが破られる前に、命が尽きてほしい。そして愛に裏切られる痛みを避けたい一心の祈りが感じられます。
百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』和歌全体の情景


和歌全体では、恋人の「忘れない」という言葉を信じたいけれど、その誓いが永遠に続くことは難しいと知っている。それならば、裏切られる前にこの日の命が尽きればいい──誓いと別れの間にある、深い覚悟と女性の誇りが、しずかに響く一首です。
百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』まとめ
儀同三司母の「忘れじの」は、
誓いを信じたからこその痛みと覚悟を
描いた恋の和歌です。
裏切られるよりも、
その日限りの命を選ぶという強さに、
平安女性の繊細で誇り高い心が宿っています。

静かでありながら、深い余韻を残す一首です。

百人一首第54番 儀同三司母『忘れじの』背景解説–忘れぬ想いを百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。