百人一首第58番 大弐三位『有馬山』背景解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?
第58番は、大弐三位の「有馬山」。
風にそよぐ笹原のように、
忘れようとしてもなお揺れ動く恋心──。
この和歌には、
胸の奥に残る想いと、
決して消せない記憶のざわめきが
重ねられています。
今回ご紹介するのは、百人一首第58番 大弐三位『有馬山』。自然の描写と心の動きを響かせた、余韻深い一首です。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』記事も併せてご覧ください。
大弐三位の生涯と百人一首の背景
生涯について


紫式部と藤原宣孝の娘で、
平安中期を代表する才媛のひとりです。
中宮彰子に仕え、母ゆずりの
文学的素養を活かして和歌の才能を発揮。
勅撰集にも多く入集し、
百人一首には自然と心情が
溶け合う一首が選ばれています。

彼女の和歌には、感情の奔流に任せぬ抑制と、自然へのまなざしの静けさがあります。私の物語が人の内面を描くなら、彼女の詩は風にゆれる心の影を映しているように思えます。
歴史的イベント
大弐三位は、
『源氏物語』の作者・紫式部を母に持つ才女
として注目されました。
また幼少より文学的環境に育ち、
和歌の才能を自然に身につけたとされます。
そして後一条天皇の中宮・彰子に女房として仕え、
宮廷文化の中で母譲りの感性を発揮しました。

物語ではなく短詩で心を表現した彼女は、私とは異なる静かな詩情を築いた、もう一人の文学者でした。
母・紫式部が詠んだのは、夢か現かも曖昧な恋の一瞬。
娘とは異なる角度から描かれた恋の余韻を、ぜひ比べてみてください。
▶ 百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』背景解説–逢瀬の余韻
他の歌について
大弐三位は『新古今和歌集』に、
「春ことに心をしむる花の枝に たかなをさりの袖かふれつる」
という歌を残しています。
この歌は、花の枝に袖が触れたことから心が動いた、
という自然と恋の交錯を詠んでいます。

大弐三位の「有馬山」もまた、風にそよぐ笹原に心の乱れを重ねる構図です。

自然の一瞬の動きに心を揺らす、繊細な感受性がどちらの歌にも共通しています。
百人一首における位置付け
「有馬山」は、風にそよぐ笹の揺れを
恋の乱れにたとえた一首です。
また忘れようとしても忘れられない想いを、
自然の動きに託して静かに表現しています。
そして感情を抑えながらも確かに伝える繊細さは、
百人一首の中でもひときわ優美な印象を
残す歌となっています。
大弐三位がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第58番 大弐三位『有馬山』背景解説–乱るる心音では、大弐三位がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 忘れられぬ想いを伝えるため
- 自然の動きに心を託したから
- 控えめな語りで余韻を残したかったから
忘れられぬ想いを伝えるため
時が過ぎても心に残る人がいる──
忘れようとしてもふとした瞬間に蘇る想いを、
風に揺れる笹に重ねて詠んでいます。
そして心の奥の未練がそっとにじみます。
自然の動きに心を託したから
直接的に感情を語らず、
風や笹原という自然の動きに心の動揺を投影。
また平安和歌らしい、
象徴的で優美な表現手法が用いられています。
控えめな語りで余韻を残したかったから
激しい感情を語らず、
「いでそよ」と軽やかに気持ちをにじませることで、
読む側に余韻を委ねています。
また繊細な気持ちの揺らぎを描くための、
意図的な抑制です。

この和歌では、感情を声高に訴えるのではなく、自然の情景に溶け込ませて表現する平安女性の美意識が込められています。

風が笹を揺らすように、心の中にもふと蘇る想い。また「いでそよ」という呼びかけに、控えめながらも真実味のある恋心が響きます。
語りすぎず、感じさせる──そんな余韻の美しさが、この歌の最大の魅力です。
読み方と句意


百人一首第 大弐三位
歌:有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
読み:ありまやま ゐなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする
句意:有馬山の笹原に風が吹くたびに、あなたのことを忘れようとしても、どうして忘れられましょうか──そんな未練と恋心の余韻を込めた一首です。
百人一首第58番 大弐三位『有馬山』の楽しみ方
百人一首第58番 大弐三位『有馬山』背景解説–乱るる心音では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 風の比喩に注目する
- 控えめな表現の美しさを感じる
- 母との詠風の違いを味わう
風の比喩に注目する
「風が吹く=想いが揺れる」という構図は、
平安和歌に多く見られます。
また大弐三位は、その風を
笹原に吹き抜ける静かな動きとして描くことで、
強い未練を直接的に語らず、
そして自然と心が重なる一瞬の美しさを
見事に表現しています。
風が笹を揺らすように、ふとした瞬間に蘇る想いを象徴的に表しています。そして自然と感情が響き合う描写を味わってみましょう。
控えめな表現の美しさを感じる
「いでそよ」という言い回しは、
感情を叫ぶのではなく、
そっと漏れるような声です。
またそれがかえって、
忘れられない想いの深さを強く感じさせるのが
この和歌の特徴です。
そして控えめな語り口にこそ、
情熱が隠れているのです。
感情をあえて抑えた言葉遣いに、平安女性の奥ゆかしさと誇りがにじみます。「いでそよ」という軽やかな語り口に注目です。
母との詠風の違いを味わう
母・紫式部が『源氏物語』で描いたのは、
物語的な恋と心理の深層でした。
また一方で大弐三位は、
自然の一瞬の動きに恋心を
託す和歌の形式で心を表現しています。
そして抑制と余韻の美学という
方向性の違いを感じると、
さらに味わいが深まります。
母・紫式部が物語で内面を描いたのに対し、娘・大弐三位は和歌で情感を表現しました。親子の詩風の違いにも注目してみましょう。
百人一首第58番 大弐三位『有馬山』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「有馬山 猪名の笹原 風吹けば」では、
有馬山のふもと、猪名の笹原に風が吹き渡る。
またその風にそよぐ笹の音は、
忘れたはずの想い人の記憶をふと呼び起こす。
そして自然の一瞬のゆらぎに、
心の奥で眠っていた感情が揺り起こされるような情景が
広がっています。
五音句の情景と意味「有馬山」


「有馬山」では、兵庫県北部にある有馬山は、風が通い抜ける静かな山地。ここでは、自然が心情を映す舞台として詠まれています。
七音句の情景と意味「猪名の笹原」


「猪名の笹原」では、有馬山のふもとに広がる笹原。風が吹けばさらさらと音を立てる、情緒豊かな景色が思い描かれます。
五音句の情景と意味「風吹けば」


「風吹けば」では、風が笹原を通り抜ける瞬間。自然の動きが心のざわめきを呼び起こす導入として効果的に使われています。
下の句(7-7)分析
下の句「いでそよ人を 忘れやはする」では、
風に吹かれて心が揺れたとき、
忘れようとした人の面影がふとよみがえる。
またその感情を抑えるように、
しかしやさしくこぼれる言葉──
「いでそよ、人を忘れやはする」。
忘れたふりをしても、
心はずっと覚えているという
切なさが滲みます。
七音句の情景と意味「いでそよ人を」


「いでそよ人を」では、「いでそよ」は「いや、まさか…」という気配を含む語りかけ。思わずこぼれるような本音と心の揺らぎを表しています。
七音句の情景と意味「忘れやはする」


「忘れやはする」では、「忘れることなど、どうしてできましょうか」という意味。抑えた語りの中に、消せない想いがしっかりと込められています。
百人一首第58番 大弐三位『有馬山』和歌全体の情景


和歌全体では、有馬山のふもとの笹原に風が吹き、笹がそよぐたびに、忘れようとした人の面影が胸に浮かぶ。「忘れやはする」という言葉には、抑えていた想いが自然とこぼれるような切なさがにじんでいます。風景と心情が静かに重なる、余韻に満ちた一首です。
百人一首第58番 大弐三位『有馬山』まとめ
「有馬山」は、
忘れようとしても消せない恋心を、
風に揺れる笹原に重ねて詠んだ一首です。
直接的な告白ではなく、
自然の描写に心を託す抑制の美が光ります。

そっと漏れた本音のような余韻が、読む人の胸に静かに響く和歌です。

百人一首第58番 大弐三位『有馬山』背景解説–乱るる心音を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。