百人一首第95番 慈円『おほけなく』で、
和歌の世界を旅してみませんか?
三十一音に込められた祈りや願いは、
時代を越えて私たちの心に届きます。
今回は第95番、慈円の「おほけなく」を
ご紹介します。

憂き世に生きる人々を思い、僧としての覚悟と慈悲を詠んだ一首です。

静かな祈りの力に、そっと耳を澄ませてみましょう。
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前回は、百人一首第94番 飛鳥井雅経『み吉野の』背景解説–吉野の寒夜 をご紹介しました。
吉野の秋風と、夜更けに響く衣打つ音――。
静けさの中に深まる寒さと余情を描いた第94番もあわせて読んでみませんか。
慈円の生涯と百人一首の背景
生涯について


藤原忠通の子として生まれた天台宗の僧で、
後に天台座主を四度務めました。
政治と宗教の双方に深く関わり、
和歌にも優れた才能を示します。

また『新古今和歌集』の撰者の一人としても知られ、鎌倉初期を代表する知性派歌人の一人です。
歴史的イベント
源平合戦から鎌倉幕府成立へと
移る激動の時代、
朝廷と武家の対立が深まる中で、
慈円は『愚管抄』を著しました。

そこでは歴史の流れを仏教的視点から読み解き、国家の行く末を憂えています。

そして乱世に生きる民を思う姿勢が、第95番の和歌にも色濃く表れています。
他の歌について
慈円は『新古今和歌集』に、
「思ふことなどとふ人のなかるらむ仰げば空に月ぞさやけき」
という歌を残しています。
胸の内を語る相手もいない孤独を、
澄みわたる月に重ねて詠んでいます。

また静かな夜空に心を映すこの一首からは、慈円の内省的で思索的なまなざしが感じられます。

第95番の祈りの歌とも通じる、深い精神性がうかがえます。
百人一首第95番 慈円『おほけなく』百人一首における位置付け
百人一首の終盤に置かれたこの一首は、
恋歌が多い中で異彩を放つ存在です。
また僧である慈円が、
憂き世に生きる民を思い、
墨染の袖で世をおおうと
詠んだ点に特徴があります。
そして個人の感情を越えた祈りの歌として、
終盤にふさわしい重みを担っています。
慈円がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第95番 慈円『おほけなく』背景解説–憂き世を救ふでは、慈円がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 憂き世への深いまなざし
- 僧としての誓い
- 公家と僧の両面性
憂き世への深いまなざし
戦や政の混乱が続く時代に、
苦しむ民の姿を見つめていました。
また僧として何ができるのかを問い、
自らの立場から世をおおう覚悟を
言葉にしています。
僧としての誓い
「墨染の袖」は出家の証です。
その袖で世をおおうという表現には、
仏の教えをもって人々を救おうとする
強い決意が込められています。
公家と僧の両面性
藤原氏の一員でありながら
僧となった慈円は、
政治と宗教の両面を知る立場でした。
世の動きを間近で見たからこそ、
祈りの言葉に重みが宿っています。

この歌は個人的な感傷ではなく、時代全体を見渡した祈りの表明です。

また自らを「おほけなく」とへりくだりつつも、世をおおうと詠む姿には、大きな責任と覚悟がにじみます。
慈円は乱世のただ中で、言葉を通して救いを示そうとしたのです。
読み方と句意


百人一首 第 慈円 ※百人一首では前大僧正慈円
歌:おほけなく 憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖
読み:おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみぞめのそで
句意:この和歌では、憂き世に生きる民を思い、僧としてその苦しみをおおい救おうとする祈りが詠まれています。
「憂き世を救ふ」――いまの私たちなら、どう感じるのだろう?
争いや不安が絶えない社会に生きる私たちも、この言葉に心を動かされます。また誰かを思う気持ち、できることを尽くす覚悟、そして小さな行動の力。そして祈りを行動に変える姿勢を、ここから感じ取ることができます。
- 誰かを思う心
- できることを尽くす姿勢
- 祈りを行動に
誰かを思う心
大きなことはできなくても、
隣にいる人を思いやることはできます。
また慈円の歌が教えてくれるのは、
まず「思う」ことの大切さです。
そこから小さな救いが生まれていきます。
身近な人の苦しみに気づき、そっと手を差し伸べたいと思う気持ちは、時代を越えて共通しています。
できることを尽くす姿勢
慈円は僧としての立場から
世をおおうと詠みました。
また私たちもそれぞれの場所で、
自分なりの役割を果たすことができます。
そしてできることを積み重ねる姿勢が、
社会を支える力になります。
自分の立場や役割の中で、何ができるかを問い続ける姿勢が感じられます。
祈りを行動に
「救ふ」という言葉には、
ただの理想ではなく覚悟がにじみます。
私たちもまた、思いを言葉にし、
行動に移すことで、
身近な世界を少しずつ変えていける
のではないでしょうか。
願うだけでなく、行動へと移そうとする決意が込められています。
百人一首第95番 慈円『おほけなく』の楽しみ方
百人一首第95番 慈円『おほけなく』背景解説–憂き世を救ふでは、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 「おほふ」という言葉に注目する
- 墨染の袖の象徴性を読む
- 終盤の一首として読む
「おほふ」という言葉に注目する
「おほふ」は、布で包むような
やわらかな響きを持ちながら、
世のすべてを覆うという
大きな意味を含んでいます。
また謙遜の「おほけなく」と並ぶことで、
へりくだりと決意が対比的に
浮かび上がります。
静かな強さを感じ取ることが、
この歌を味わう第一歩です。
世をおおうという大胆な表現に、この歌の核心があります。
墨染の袖の象徴性を読む
墨染の袖は、僧としての誓いと
仏の教えを象徴します。
ただの衣ではなく、
祈りと責任を背負った存在です。
またその袖で世をおおうと詠むことで、
慈円の覚悟が一層鮮明になります。
象徴の読み解きが、
この歌の奥行きを広げます。
出家の証である墨染の袖に込められた意味を味わいます。
終盤の一首として読む
恋や自然を詠んだ歌が続く中で、
この一首は社会全体へ視線を向けます。
また個人の感情を越え、
時代を見つめる視座が
示される点が特徴です。
そして終盤に置かれた意味を
考えながら読むことで、
百人一首全体の構成美も
より深く味わえます。
百人一首の流れの中で、この歌の位置に注目します。
百人一首第95番 慈円『おほけなく』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「おほけなく 憂き世の民に おほふかな」では、
「おほけなく」と自らをへりくだりつつ、
「憂き世の民」と広く人々に目を向けています。
そして「おほふかな」と結ぶことで、
世をおおい守ろうとする決意が静かに響きます。
謙遜と覚悟が重なり合う、
印象的な上の句です。
五音句の情景と意味「おほけなく」


「おほけなく」では、自らの力を誇らず、身を低くする姿勢がにじむはじまりです。そして謙遜の響きが、祈りの前置きとなっています。
七音句の情景と意味「憂き世の民に」


「憂き世の民に」では、戦や不安に揺れる世の人々へと視線を広げます。そして個人ではなく、社会全体を思うまなざしが感じられます。
五音句の情景と意味「おほふかな」


「おほふかな」では、そっと包み込むように世をおおう決意が響きます。そして静かな詠嘆が、祈りの広がりを生み出しています。
下の句(7-7)分析
下の句「わが立つ杣に 墨染の袖」では、
「わが立つ杣」は、
自らが身を置く比叡山の地を指します。
そこで身にまとう「墨染の袖」は、
出家の証であり祈りの象徴です。
また僧としての立場を明確に示し、
自らの誓いを世に差し出す姿が
静かに描かれています。
七音句の情景と意味「わが立つ杣に」


「わが立つ杣に」では、比叡山の山中に身を置く姿が浮かびます。そして俗世から離れた場所で、世を思う決意が感じられます。
七音句の情景と意味「墨染の袖」


「墨染の袖」では、僧の衣である墨染の袖が静かに揺れます。そして祈りと誓いを象徴する色が、重みをもって響きます。
百人一首第95番 慈円『おほけなく』和歌全体の情景


乱れゆく世に生きる人々を思い、比叡山の山中に立つ僧の姿が浮かびます。
また墨染の袖をまとい、自らをへりくだりながらも、世をおおい守ろうとする決意が静かに広がります。
そして高みから見下ろすのではなく、祈りをもって包み込もうとするまなざしが、この一首全体をやわらかく満たしています。
百人一首第95番 慈円『おほけなく』まとめ
慈円の「おほけなく」は、
乱世に生きる人々を思う僧の祈りを
詠んだ一首です。
また自らをへりくだりながらも、
世をおおい救おうとする
強い覚悟が響きます。

個人の感情を越え、社会全体へと向けられたまなざしが印象的です。静かな決意のことばは、いまを生きる私たちにも深い余韻を残します。

百人一首第95番 慈円『おほけなく』背景解説–憂き世を救ふを百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。
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