百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』背景解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?
第56番は、和泉式部の「あらざらむ」。
命の尽きる前に、もう一度だけあなたに逢いたい──。
この世の終わりに託された最後の願いが、
読む人の胸を静かに揺らします。
今回ご紹介するのは、百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』。死の淵にあってもなお揺るがぬ恋心を、しっとりと詠んだ一首です。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第55番 藤原公任『滝の音は』記事も併せてご覧ください。
和泉式部の生涯と百人一首の背景
生涯について


平安中期の女流歌人。越前守・大江雅致の娘で、
橘道貞との間に娘・小式部内侍をもうけました。
為尊親王や敦道親王との恋愛が知られ、
『和泉式部日記 Wikipedia』にその情熱が綴られています。

百人一首には、死を前にした恋心を詠んだ「あらざらむ」が選ばれています。
歴史的イベント
和泉式部は、
宮廷でも名高い才色兼備の歌人として知られ、
為尊親王や敦道親王との恋愛が話題を呼びました。
またその情熱的な恋と和歌の才は、
当時の女性たちからは嫉妬され、
「浮かれ女」との噂も立ちましたが、
紫式部はその才を高く評価していました。

『和泉式部日記』には、愛と死を見つめる深い感情が綴られ、平安女性の心の奥行きを今に伝えています。
他の歌について
和泉式部は『後拾遺和歌集』に、
「思ふこと みなつきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓へつるかな」
という歌を残しています。
この歌は、心の迷いや執着を祓い清めたいという願いを、
麻の葉を断ち切る所作に託して詠んでいます。

和泉式部の「あらざらむ」が死の前夜に恋心を託したのに対し、こちらは思いを断ち切ることで新たな自分を迎えようとする姿勢が感じられます。
百人一首における位置付け
「あらざらむ」は、
死を目前にしてもなお尽きない恋心を
詠んだ一首です。
女性歌人の中でも情熱的な和泉式部らしく、
終わりを見据えながらも愛を手放さない強さが光ります。
命と想いの交差点に立つ感情が、
百人一首の中でも異彩を放つ作品です。
和泉式部がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』背景解説–消えゆく夜の恋では、和泉式部がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 最後に想いを伝えたかった
- 恋心は命を超えると信じた
- 自身の生と死を美しく結びたかった
最後に想いを伝えたかった
死が近づいていることを悟った和泉式部は、
この世を去る前に、
もう一度だけ相手に逢いたい
という切なる想いを和歌に託しました。
それは、言葉ではなく心そのものを
残そうとする行為でした。
恋心は命を超えると信じた
たとえ命が尽きようとも、
想いは終わらない。
愛の記憶をこの世に遺すことで、
相手の中に生き続けたい──。
和泉式部は、死すら越えてなお
続く恋を信じていました。
自身の生と死を美しく結びたかった
和泉式部にとって、
恋と詩は人生そのものでした。
だからこそ、命の終わりもまた恋の延長線上に置き、
その最後の表現として和歌を残そうとしたのです。

この和歌では、和泉式部が命の終わりと恋の想いをひとつに結びつけた、極めて私的で美しい告白です。

また彼女は、ただ“死”を悲しむのではなく、それをも恋の舞台として詠み上げる勇気と感性を持っていました。
「逢ふこともがな」という願いは、恋の成就というより、心を遺すという祈りに近いもの。そして平安女性の内面を深く描いた、魂の一首です。
読み方と句意


百人一首第 和泉式部
歌:あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな
読み:あらざらむ このよのほかの おもひでに いまひとたびの あふこともがな
句意:まもなく命が尽きるなら、せめてもう一度だけ逢って、この世の思い出としてあなたの面影を心に残したい──そんな願いを詠んでいます。
百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』の楽しみ方
百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』背景解説–消えゆく夜の恋では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 死を目前にした恋心を味わう
- 和泉式部らしい情熱と繊細さに触れる
- 恋を遺すという発想に共感する
死を目前にした恋心を味わう
死を目前にしても、恋の想いが
消えることはありません。
またこの歌は、
限られた命の中でも愛しさは尽きない
ことを伝えています。
そして和泉式部の強くまっすぐな感情が、
命の終わりと恋の共存という
テーマに深みを与えています。
ただの恋ではなく、命の終わりと向き合う瞬間に詠まれた恋の強さに注目して読んでみましょう。
和泉式部らしい情熱と繊細さに触れる
和泉式部は情熱的な恋の歌人として知られますが、
その情熱は常に繊細さを伴っています。
「もう一度だけ逢いたい」と願いながらも、
相手に負担をかけず、
想いを残すだけにとどめる美意識が感じられます。
情熱的でありながら、相手に想いを残すことに重きを置いた繊細な表現が、彼女らしい魅力です。
恋を遺すという発想に共感する
恋を実らせることよりも、
心に遺すことを選ぶ──。
また和泉式部のこの発想には、
執着を超えた美しい諦念と、静かな強さが
宿っています。
そして現代でも共感を呼ぶ、
心を遺す恋のかたちです。
“叶える”ではなく、“遺す”という視点がこの歌の深み。恋を心に留めて終えるという潔さを味わってみてください。
百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に」では、
死を間近に感じながら、
和泉式部はこの世に残す“恋の記憶”について考えています。
もはや命は尽きるだろうが、
想い出としてあなたの面影をこの世に遺したい──。
命と恋が交差する静かな夜の情景が広がっています。
五音句の情景と意味 「あらざらむ」


「あらざらむ」では、「私はまもなく死ぬでしょう」という、儚さと決意を込めた告白。命の終わりを静かに受け入れる、心の準備がにじみます。
七音句の情景と意味 「この世のほかの」


「この世のほかの」では、死後の世界=“この世のほか”を意識しながら、今生の別れを詠む。生と死の境界を見つめる視線がしっとりと描かれています。
五音句の情景と意味 「思ひ出に」


「思ひ出に」では、たとえ命が尽きても、あなたとの想い出を残したい。恋の記憶がこの世に留まるよう願う、切なる心が表れています。
下の句(7-7)分析
下の句「いまひとたびの 逢ふこともがな」では、
命が尽きる前に、もう一度だけあなたに逢いたい──。
またこの世を去るその前に、
最後の想い出として心に刻みたい恋の面影。
叶わぬかもしれない願いであっても、
それを詠まずにはいられない情の深さが
にじみ出ています。
七音句の情景と意味「いまひとたびの」


「いまひとたびの」では、“もう一度だけ”という強い願い。限られた時間の中で、最後にひと目逢いたいという切なる想いがこもっています。
七音句の情景と意味「逢ふこともがな」


「逢ふこともがな」では、「逢うことが叶えば…」という祈るような言葉。現実というより願いに近い、儚く静かな希望の響きが漂います。
百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』和歌全体の情景


和歌全体では、命が尽きようとする夜、恋しい人への想いだけが胸に残る。たとえこの世を去っても、その想い出が自分の中に刻まれていてほしい──。そしてせめて、最後にもう一度だけ逢えたなら。死を前にしてもなお消えぬ恋の炎と、その願いの切なさが静かに描かれています。
百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』まとめ
「あらざらむ」は、
死の間際にあってもなお消えない恋心を、
美しく哀しく詠んだ一首です。
叶わぬと知りつつも、
想いを遺すことに意味を
見出す和泉式部の姿には、
恋とともに生きた平安女性の誇りと強さ
がにじみます。

命の終わりと恋の余韻が溶け合う珠玉の和歌です。

百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』背景解説–消えゆく夜の恋を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。