百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』背景解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?

今日は、式部さんお休みですので、この記事の著者『わたぼうし』が皆さんをご案内します。
第57番は、紫式部の「めぐり逢ひて」。
久々の再会もつかの間、気づけばもう姿が見えない──。
切なさと美しさが静かに心に残る恋の歌です。
今回ご紹介するのは、百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』。夢か現かもわからぬほど短い逢瀬を、夜半の月が雲に隠れる情景に重ねて詠んだ一首です。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』記事も併せてご覧ください。
紫式部の生涯と百人一首の背景
生涯について


平安中期の女流作家で『源氏物語』の作者として知られます。
宮廷では中宮彰子に仕え、和歌や日記も残しました。

同時代の歌人・和泉式部とは、恋愛観や表現手法で対照的な存在として、互いに刺激を与え合う関係でした。
恋に生きた女流歌人たちの感性を比べてみませんか?
紫式部と同時代に宮廷で名を馳せた和泉式部の一首も、ぜひあわせてご覧ください。
▶︎ 百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』背景解説–消えゆく夜の恋
歴史的イベント
紫式部は、
中宮彰子に仕える女房として宮廷に出仕し、
在中中に『源氏物語 Wikipedia』の執筆を進めました。
またその物語は、当時の貴族社会に生きる人々の
恋や葛藤を鮮やかに描き、そして広く賞賛されます。

深い洞察力と文学的感性で、恋を観察し、物語に昇華させた才気は、この和歌にも通じる静かで鋭い感情表現となって表れています。
他の歌について
紫式部は『後拾遺和歌集』に、
「み吉野は 春のけしきに かすめども 結ぼほれたる 雪の下草」
という歌を残しています。
また春の訪れを感じながらも、
地にはまだ雪が残る吉野の山。
そしてこの歌は、
季節の移ろいと、その中に隠されたものの存在を
詠んでいます。

紫式部の「めぐり逢ひて」もまた、はっきり見えぬものへの感受性が込められた一首。

また姿は薄れても、心に残る“何か”を感じさせる作品という点で、響き合っています。
百人一首における位置付け
「めぐり逢ひて」は、
再会の喜びと別れの切なさが交錯する一瞬を、
美しい比喩で描いた一首です。
また恋の深さを誇張せず、
曖昧さの中に余韻を残す紫式部らしい表現が
光ります。
そして百人一首の中でも、
静かな感情の揺らぎを詠んだ繊細な作品として
評価されています。
紫式部がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』背景解説–逢瀬の余韻では、紫式部がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 再会のはかなさを詠むため
- 感情を余韻として表現したかったから
- 見たのか夢だったのかを曖昧にしたかった
再会のはかなさを詠むため
久々に逢えた喜びも束の間、
またすぐに別れてしまう。
恋の時間は思うように続かないものだという切なさを、
短い逢瀬の儚さとして描いています。
感情を余韻として表現したかったから
喜びも悲しみも語りすぎず、
比喩に託すことで感情を行間ににじませる。
そして紫式部は、
直接的でなくとも深く響く恋の形を
詠もうとしました。
見たのか夢だったのかを曖昧にしたかった
ほんの一瞬の出来事が、
現実か夢かもわからないまま過ぎてゆく──。
恋の記憶が曖昧に心に残る情景を
「夜半の月」に託しています。

この和歌は、恋の一瞬を詩的にすくい取った静かな作品です。めぐり逢った喜びを語る間もなく、すぐに別れてしまった──

またその出来事があまりにも短く、まるで夢だったのかもと思わせる曖昧さが、
和歌全体に静けさと余韻を残します。
紫式部は、言葉で語りきれない想いを、自然の描写と対比させて表現する感性に秀でており、この一首にもその美学があふれています。
読み方と句意


百人一首第 紫式部
歌:めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
読み:めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よはのつきかな
句意:久々にあなたに逢えたのに、それが本当に逢えたのかもわからぬまま、月が雲に隠れるように別れてしまいました。
百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』の楽しみ方
百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』背景解説–逢瀬の余韻では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 比喩表現に注目する
- 曖昧さの美しさを味わう
- 紫式部らしい静けさを感じる
比喩表現に注目する
夜半の月が雲に隠れるという比喩は、
姿が見えていたものがふっと消える儚さを
映し出しています。
また逢えたかどうかさえ曖昧なほど短い時間を、
自然の現象に重ねることで感情を言葉以上に伝える
紫式部らしい表現です。
「夜半の月が雲に隠れる」という自然描写は、一瞬の再会と別れを象徴的に表現しています。そして比喩に込められた感情のゆらぎに注目してみましょう。
曖昧さの美しさを味わう
この歌は、恋の出来事を明確に描写せず、
曖昧さの中に感情をにじませています。
またあえて“見しやそれともわかぬ間に”と
表現することで、
記憶の不確かさと心の残像を、
静かに印象づけています。
逢えたのか、夢だったのか──。あえてはっきりさせないことで、感情を余韻として残す表現が光ります。そして紫式部の美学を感じるポイントです。
紫式部らしい静けさを感じる
紫式部の和歌には、感情の爆発はありません。
心の奥にある想いを抑えながらも深く響かせる、
そんな静かな余韻が特徴です。
またこの歌にも、
言葉にしきれない想いを詩に託す美意識が
息づいています。
激しさではなく、抑えた情感で心を揺らすのが紫式部らしさ。そして感情を内に秘めたまま、詩に託す美しさを堪能してください。
百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に」では、
ようやく再会できたはずなのに、
その姿をよく見る間もなく別れてしまう。
またほんの一瞬の逢瀬が夢だったのかと
思うほど曖昧で、心にだけ残る。
そして確かだったはずの出来事が、
すぐに霞んでいくような情景が描かれています。
五音句の情景と意味「めぐり逢ひて」


「めぐり逢ひて」では、長い別れの末に、ついに再会の瞬間が訪れた。時を経て叶った奇跡のような出会いの場面が始まります。
七音句の情景と意味「見しやそれとも」


「見しやそれとも」では、はっきりと見たのか、見間違いだったのかさえ曖昧。現実と夢の境目がぼやけている心の揺れを映しています。
五音句の情景と意味「わかぬ間に」


「わかぬ間に」では、それが何だったのか確かめる間もなく、時が過ぎてしまった。一瞬で終わる儚い逢瀬を暗示する表現です。
下の句(7-7)分析
下の句「雲がくれにし 夜半の月かな」では、
再会した相手の姿は、
夜半の月が雲に隠れるように、
あっという間に見えなくなってしまった。
そして見えたかどうかも曖昧なまま、
ただ心の中にだけ光が残る──。
そんな余韻と静けさに包まれた別れの情景が
描かれています。
七音句の情景と意味「雲がくれにし」


「雲がくれにし」では、月がふっと雲に隠れてしまったように、相手の姿もすぐに消えてしまう。見えなくなる瞬間の喪失感と儚さが漂います。
七音句の情景と意味「夜半の月かな」


「夜半の月かな」では、深夜の静けさの中に浮かぶ月。それが再会の象徴であり、別れの切なさを映す存在となっています。
百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』和歌全体の情景


和歌全体では、長く離れていた人とようやく再会できたのに、その姿をよく確かめる間もなく別れてしまった。それが本当に現実だったのか、夢だったのかもわからないまま、月が雲に隠れるように相手の姿も消えていく。逢瀬の一瞬が残す、淡く切ない余韻が静かに広がります。
百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』まとめ
「めぐり逢ひて」は、
再会の喜びと別れの儚さを、
静かな比喩で描いた一首です。
また逢えたのかさえ
曖昧なまま過ぎていく時間は、
まるで雲に隠れる夜半の月のよう。

紫式部らしい感情の余韻と美意識が、心に深く染みわたる作品です。

百人一首第57番 紫式部『めぐり逢ひて』背景解説–逢瀬の余韻を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。
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