百人一首第73番 大江匡房『高砂の』で、
和歌の世界を旅してみませんか?
高砂の尾の上に咲き誇る桜を、
霞が覆い隠さないでほしい――。
大江匡房が詠んだのは、春の美の極みと、
そのはかなさを惜しむ心です。

自然の移ろいを前に、人の願いがそっと重なったこの一首を通して、春の輝きと切なさを味わってみましょう。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。また和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第72番 祐子内親王家紀伊『音に聞く』記事も併せてご覧ください。
大江匡房の生涯と百人一首の背景
生涯について


平安時代後期の学者・文人で、
大江氏の名門に生まれました。
また文章博士として朝廷に仕え、
漢詩文・和歌・有職故実に通じ、
「三船の才」と称えられる博識で知られます。
そして白河院の信任を受け、
政務にも関与しつつ学問と文芸の発展に寄与しました。

和歌は勅撰集にも入集し、自然と感情を繊細に結びつける表現が高く評価されています。

百人一首では、春の桜を惜しむ心を詠んだ叙景歌が採られ、学者らしい格調と情趣が感じられます。
歴史的イベント
大江匡房は、藤原頼通の後援を
受けて文章博士となり、
漢詩文や有職故実に精通した学識で知られました。
また「三船の才」と称され、
藤原公任・源経信と並び立つ存在でした。
そして後冷泉・白河院に仕え、
白河院の信任はとくに厚く、
政務や文化活動にも深く関与。

百人一首の一首は、学者でありながら自然を愛でる感性を備えた人物像を示しています。
他の歌について
大江匡房は『新古今和歌集』に、
「秋来れば 朝けの風の手をさむみ 山田の引板をまかせてぞ聞く」
という歌を残しています。
この歌では、秋になると明け方の風が冷たく、
山田で稲を乾かす「引板」が
風に揺れる音を耳にする情景を詠んでいます。
農作業の音や風の冷たさといった生活感ある描写を通じて、
秋の到来を肌で感じさせる一首です。

大江匡房は、学者としての高い教養を備えながらも、こうした素朴な日常の風景を題材に、自然と人の営みを結びつける感性を持っていました。

百人一首の「高砂の」同様、四季の移ろいを細やかに描く叙景歌に優れた歌人であったことが伝わります。
百人一首第73番 大江匡房『高砂の』の百人一首における位置付け
この和歌は、咲き誇る桜の美を惜しみ、
霞に隠れないことを願う春の情景詠です。
百人一首では、学者として知られる大江匡房が、
自然の美と人の感情を結びつけた叙景歌を
示す例として位置付けられています。
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大江匡房がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第73番 大江匡房『高砂の』背景解説–惜しむ花の春では、大江匡房がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 桜の美を惜しむ心
- 霞への願いを託す
- 自然と感情の融合
桜の美を惜しむ心
咲き誇る桜の姿を、
少しでも長く目にしたい。
また自然の美をそのまま受け止め、
散る前の瞬間を留めようとする心情が
込められています。
霞への願いを託す
春の霞は桜を隠してしまう存在。
そこで「立たずもあらなむ」と願うことで、
自然に対する祈りのような感覚が
表れています。
自然と感情の融合
山桜と霞を題材に、
人の感情を風景に託す叙景歌の美が
示されています。
また学者である大江匡房の感性が、
自然描写に結びついています。

この和歌では、春の山に咲く桜の美を惜しむ気持ちから生まれました。

また霞という自然現象を単なる風景として捉えるのではなく、桜を隠さないでほしいという人の感情を重ね合わせた点に特徴があります。
学識に優れた大江匡房が、自然と心情を巧みに融合させた一首であり、春の儚さを味わう代表的な和歌といえます。
読み方と句意


百人一首第 大江匡房|権中納言匡房
歌:高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ
読み:たかさごの をのへのさくら さきにけり とやまのかすみ たたずもあらなむ
句意:この和歌では、高砂の山の桜が美しく咲いた。どうか外山の霞よ立たずに、桜を隠さず咲き姿を見せてほしい。と詠まれています。
「惜しむ花の春」――いまの私たちなら、どう感じるのだろう?
散りゆく花に「もう少し咲いていて」と願う心。過ぎてしまう時間を惜しむ気持ち。そして、日常の中で小さな美を大切にしたい心――。春の花を惜しむ想いは、今を生きる私たちの感覚にも重なります。
- 時間の早さを惜しむ
- 美しいものを守りたい
- 今を大切にする視点
時間の早さを惜しむ
春の桜は一瞬で散り、
季節はすぐ移ろいます。
またそれは人生の喜びや
幸せの時間とも似ています。
過ぎゆく時間を惜しむ心が、
日常を愛おしくする力になります。
そして和歌の「霞よ立つな」は、
まさにその気持ちの象徴です。
楽しい時間ほど、あっという間に過ぎてしまう。「もっと続いてほしい」と願うのは、誰もが抱く自然な感情です。
美しいものを守りたい
桜が霞に隠れてしまうように、
大切なものもふと見えなくなることがあります。
だからこそ「惜しむ」気持ちが強くなるのです。
美しいものを守りたいと願う心は、
和歌を読むことでより共感を深められます。
大切なものほど、壊れたり失われたりするのが怖い。その不安から、「まだここにあって」と祈る気持ちが生まれます。
今を大切にする視点
桜の花を惜しむのは、
未来を恐れるだけではなく、
「いま」を大切にしようという前向きな感覚
でもあります。
また大江匡房の和歌は、
私たちに“今ある幸せを愛でる姿勢”を気
づかせてくれるのです。
花の春は短いからこそ、今この瞬間が尊い。「惜しむ心」は、現在を精一杯生きる力につながります。
百人一首第73番 大江匡房『高砂の』の楽しみ方
百人一首第73番 大江匡房『高砂の』背景解説–惜しむ花の春では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 自然描写の鮮やかさを味わう
- 「惜しむ心」に共感する
- 比喩の妙を楽しむ
自然描写の鮮やかさを味わう
咲き誇る桜の白と霞のけぶる灰色。
色彩と視覚的なコントラストにより、
春の景がより鮮やかに立ち現れます。
自然をそのまま映すのではなく、
景色の変化をドラマとして切り取るのが
この歌の魅力です。
高砂の桜と外山の霞という対比から、春の風景の明暗が一首に凝縮されています。
「惜しむ心」に共感する
春は始まりの季節でありながら、
別れや移ろいも伴います。
また桜の花が霞に隠れることを惜しむ心には、
「美しい時間よ、もう少し続いてほしい」
という願いが込められています。
そして和歌を通じて、その切なさを味わえます。
散る前の花を惜しむ気持ちは、現代人にも通じる普遍的な感情です。
比喩の妙を楽しむ
霞は春の季語でありながら、
この歌では“花を隠す障害”として
描かれています。
またそれに「立たずもあらなむ」と
語りかけることで、
人と自然が対話するような詩的世界が
広がります。
そして比喩や擬人化の妙を味わうのも、
この和歌の楽しみ方です。
霞をただの自然現象でなく、桜を隠す存在として擬人化している点に注目。
百人一首第73番 大江匡房『高砂の』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり」では、
名所・高砂の山の尾根に桜が
満開になった情景を描いています。
また春の訪れを告げる華やかさと、
今まさに盛りを迎えた瞬間の輝きがこめられ、
そしてその美しさを惜しむ気持ちへと
つながる導入句です。
五音句の情景と意味「高砂の」


「高砂の」では、名所として名高い高砂の地。古来より人々に親しまれた景勝地の春景色が舞台となっています。
七音句の情景と意味「尾の上の桜」


「尾の上の桜」では、山の尾根に広がる満開の桜。高みから一面に咲き誇る姿が、圧倒的な華やぎを放ちます。
五音句の情景と意味「咲きにけり」


「咲きにけり」では、今まさに桜が盛りを迎えた瞬間。春の訪れを告げる決定的な華やぎが強調されています。
下の句(7-7)分析
下の句「外山の霞 立たずもあらなむ」では、
外山に立つ霞が桜を隠さないでほしいと
願う心を表しています。
自然の美を惜しみ、少しでも長く目に
とどめたいという切なる想いがこめられ、
春のはかなさを際立たせる結句と
なっています。
七音句の情景と意味「外山の霞」


「外山の霞」では、遠くの山々に春霞が立ちのぼり、花を覆い隠そうとする柔らかな薄幕のように広がります。
七音句の情景と意味「立たずもあらなむ」


「立たずもあらなむ」では、その霞がどうか立たずにいてほしいと願う、桜の美を惜しむ切実な祈りがこめられています。
百人一首第73番 大江匡房『高砂の』和歌全体の情景


名所・高砂の山の尾根に桜が満開に咲き誇り、春の盛りを迎えた華やかな光景。しかし、遠い外山には霞が立ちはじめ、花を覆い隠そうとしています。また咲いたばかりの桜を惜しみ、霞よ立たないでほしいと願う心情が、自然と人の感情を重ねて描かれています。
百人一首第73番 大江匡房『高砂の』まとめ
この和歌では、
名所・高砂の山に咲く桜が満開を
迎えた美しい光景を描きながら、
外山に立つ霞に花が隠れてしまうことを
惜しむ心を詠んでいます。
また自然の景色をそのまま映すだけでなく、
人の感情を重ね合わせた叙景歌の妙が光ります。

大江匡房は学識に優れた文人でありながら、こうした素朴で切実な心情を桜と霞に託しました。春の美と儚さを味わう代表的な一首として、百人一首に選ばれています。

百人一首第73番 大江匡房『高砂の』背景解説–惜しむ花の春を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。
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