百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』で、
和歌の世界を旅してみませんか?
急流の滝川が岩に阻まれ、一度は分かれても、
やがて再び合流して流れていくように――。

崇徳天皇の一首は、離れても必ず逢いたいという強い恋の決意を自然の光景に託しています。

自然と心が重なり合う和歌の魅力を感じてみましょう。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。また和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第76番 藤原忠通『わたの原』記事も併せてご覧ください。
崇徳天皇の生涯と百人一首の背景
生涯について


鳥羽天皇の第一皇子として生まれ、
第75代天皇に即位しました。
また在位は1123年から1142年で、
退位後は上皇として院政を行いましたが、
父・鳥羽院や後白河天皇との対立から
地位を失います。

そして1156年の保元の乱では後白河方に敗れ、讃岐へ配流されました。
歴史的イベント
崇徳天皇は1123年に即位し、
約20年にわたり在位しましたが、
父・鳥羽院や後白河天皇との
対立によって権力を失いました。
1156年の保元の乱では、
後白河方に敗れて讃岐へ配流され、
以後は京に戻ることなく生涯を終えました。

また流刑地での孤独な日々においても和歌を詠み続け、『久安百首』などに名を残しています。

政治的には不遇でしたが、和歌や文化の面で存在感を示し、悲劇の天皇として後世に語り継がれる人物となりました。
他の歌について
崇徳天皇は『新古今和歌集』に、
「いつしかと荻の葉むけの片よりにそそや秋とぞ風も聞こゆる」
という歌を残しています。
この歌は、荻の葉が風にそよぎ、
その音から「もう秋が来たのだ」と
感じ取る情景を詠んでいます。

自然のわずかな変化を敏感に捉え、そこに季節の移ろいを重ね合わせる点に、崇徳天皇の繊細な感性が表れています。

百人一首に選ばれた「瀬をはやみ」が恋の誓いを滝川の流れに託した力強い表現であるのに対し、この一首は風の音に季節を感じる静かな情緒を描いており、崇徳院の歌風の幅広さを示しています。
百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』の百人一首における位置付け
この和歌は、急流の滝川を恋にたとえ、
一度は離れても必ず再び結ばれるという強い誓いを
表しています。
百人一首では、自然描写と恋の決意を融合させた
象徴的な恋歌として位置付けられ、
崇徳天皇の感情表現の豊かさを伝える一首です。
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崇徳天皇がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』背景解説–われても逢はむでは、崇徳天皇がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 障害を越える恋の誓い
- 自然を恋に託すため
- 切実な心情を伝えるため
障害を越える恋の誓い
急流に阻まれる滝川をたとえにして、
たとえ障害があっても
必ず逢いたいという恋の強い意志を
示しています。
自然を恋に託すため
滝川が分かれても合流する姿を、
人の心の在り方や恋の希望に重ね合わせて
表現しました。
切実な心情を伝えるため
直接的な言葉を避け、
自然の比喩を用いることで品格を保ちつつ、
恋の切実さを印象づけています。

この和歌では、激しい滝川を恋に重ね、離れてしまっても再び結ばれるという強い誓いを詠んでいます。

また崇徳天皇は、直接的に愛を語るのではなく、自然の景色を通じて心情を伝えることで、力強さと余韻を両立させました。
険しい流れに阻まれても必ず合流する水の姿は、恋に生きる人の希望と決意を象徴しています。
読み方と句意


百人一首第 崇徳天皇 ※百人一首では崇徳院
歌:瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
読み:せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ
句意:この和歌では、急流が岩にせき止められても再び合流するように、離れても末には必ず逢おうと思う恋の誓いを詠まれています。
「われても逢はむ」――いまの私たちなら、どう感じるのだろう?
たとえ離れても結びつこうとする心。困難を越えて続く絆への信頼。そして、未来への希望を手放さない意志――。崇徳天皇の一首は、今の私たちにも響く強い誓いです。
- 離れてもつながる絆
- 困難を越える強さ
- 未来への希望を抱く
離れてもつながる絆
滝川が分かれても再び合流するように、
離れても絆が途切れないことを信じる心は
現代にも通じます。
また遠距離恋愛や離別の経験の中でも、
再会を信じる気持ちが
人を支え続けるのです。
距離や環境に阻まれても、心が結びつくと信じる想いは変わりません。
困難を越える強さ
岩に阻まれても流れを
止めない急流のように、
困難を前にしても立ち向かう意志が
描かれています。
また現代社会においても、
試練を越える強さは大切で、
この和歌はその姿勢を励ましてくれます。
障害に直面しても、あきらめず乗り越えようとする心の力を表しています。
未来への希望を抱く
「末に逢はむ」という言葉には、
未来への希望を信じ抜く強さが
込められています。
また叶うかどうかわからなくても、
希望を持ち続けること自体が心を支え、
人生を明るく照らすのです。
どんな状況でも「また逢える」と信じることで、前に進む力が湧きます。
百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』の楽しみ方
百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』背景解説–われても逢はむでは、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 比喩表現を味わう
- 自然描写を堪能する
- 強い決意に共感する
比喩表現を味わう
岩に阻まれても流れを
止めない滝川の姿を、
離れても結ばれる恋の誓いに
たとえたのがこの和歌の魅力です。
また自然を通じて人の感情を
描く比喩表現の巧みさを味わうことで、
平安和歌の奥深さを感じ取れます。
急流と恋を重ね合わせる比喩の妙を楽しむことができます。
自然描写を堪能する
「瀬をはやみ」という冒頭からは、
水流の速さや迫力が目に浮かびます。
また自然の描写そのものが力強く、
そこに人の感情を重ねることで
一層深い味わいが生まれます。
そして情景と感情が溶け合う美しさを
堪能できる一首です。
滝川の勢いある流れと岩にぶつかる激しさを想像する楽しみがあります。
強い決意に共感する
「われても末に逢はむ」という結句には、
強い決意と希望が込められています。
また恋に限らず、人との絆や未来への
信頼を支える言葉として響きます。
そして和歌を通じて普遍的な人の強さや想いに
触れられるのも楽しみの一つです。
どんなに分かれても逢おうとする意志に、現代の私たちも共感できます。
百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」では、
流れの速い川が岩にぶつかり、
二つに分かれてしまう様子を描いています。
自然の力強い情景を通して、
障害によって引き裂かれる人の
関係や運命の比喩が表されています。
五音句の情景と意味「瀬をはやみ」


「瀬をはやみ」では、川の瀬が勢いよく流れ、急流の激しさと自然の力強さを感じさせる情景です。
七音句の情景と意味「岩にせかるる」


「岩にせかるる」では、激しい水流が岩に阻まれ、二手に分かれてしまう瞬間の迫力を映し出しています。
五音句の情景と意味「滝川の」


「滝川の」では、岩に砕けながらも力強く流れる川が、人の運命や恋の象徴として描かれています。
下の句(7-7)分析
下の句「われても末に 逢はむとぞ思ふ」では、
流れが岩に阻まれて一度は分かれても、
やがて再び一つになる滝川のように、
今は離れていても必ず再び結ばれるという
恋の誓いと強い意志を示しています。
七音句の情景と意味「われても末に」


「われても末に」では、激しい流れに分かたれても、やがて再び合流する川の姿に未来への希望を重ねています。
七音句の情景と意味「逢はむとぞ思ふ」


「逢はむとぞ思ふ」では、離れていても必ず逢いたい――恋の決意と強い信念を力強く表現しています。
百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』和歌全体の情景


急流の川が岩に阻まれて一度は分かれても、やがて再び合流して流れていく姿を描いています。その自然の情景を恋に重ね、たとえ今は離れていても、必ず再び逢おうという強い誓いと希望が込められた一首です。
百人一首第76番 藤原忠通『わたの原』まとめ
この和歌では、
急流の滝川が岩に阻まれて
二手に分かれても、
やがて再び一つに合流する姿を
恋に重ねています。
離れてしまっても
必ず再会するという強い誓いが、
自然の情景に託されました。

崇徳天皇は政治的には波乱に満ちた生涯を送りましたが、この歌にはその境遇を超えた人間的な切実さと希望が表れています。

百人一首第77番 崇徳天皇『瀬をはやみ』背景解説–われても逢はむを百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。