百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』で、
和歌の世界を旅してみませんか?
ふと押し寄せる寂しさに耐えきれず、
宿を出て外を眺める。
けれど、目に映るのはどこまでも
変わらぬ秋の夕暮れ――。

今回は、良暹法師が詠んだ、心の中の静けさと季節の景色が重なる一首をご紹介します。

誰もが一度は感じたことのある「孤独の風景」を、そっとたどってみましょう。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。また和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第69番 能因法師『嵐吹く』記事も併せてご覧ください。
良暹法師の生涯と百人一首の背景
生涯について


平安時代中期の天台宗の僧で、
歌人としても知られます。
三条天皇に仕えた経歴があり、
宮中においても和歌の才を評価されました。

また『後拾遺和歌集』などの勅撰集に入集しており、感情のゆらぎと自然の風景を重ねる静かな詠風が特徴です。

百人一首では、どこにいても変わらぬ孤独を詠んだ「寂しさに」の一首が選ばれ、内面の静寂と秋の情景が響き合う名歌として親しまれています。
歴史的イベント
良暹法師は、三条天皇の側近として
仕えながらも出家し、
内面的な孤独と静けさに
向き合うような人生を歩みました。

宮廷から離れた後は、世俗との距離を取りつつも和歌を通じて心情を表現し続け、とくに晩年には、孤独を受け入れ、自然と調和する姿勢が和歌にも色濃く表れています。

「寂しさに」の一首も、そんな彼の人生観がにじむ歌であり、季節と感情が溶け合った作品として評価されています。
他の歌について
良暹法師は『後拾遺和歌集』に、
「逢坂の杉のむらだちひくほどはをぶちに見ゆる望月の駒」
という歌を残しています。
この歌では、逢坂の山道に連なる杉の向こうに、
白いまだら模様の馬(望月の駒)が姿を見せる
という情景が詠まれています。

静かな自然の風景に、動きのある対象をさりげなく置くことで、景と心を一体化させる巧みな構図がうかがえます。

良暹法師の歌は、このように日常的な風景や旅路の一場面を通して、移ろいや孤独、そして感受性の深さを表現しているのが特徴です。
百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』の百人一首における位置付け
孤独の中で見た風景を、
秋の夕暮れと重ねた静かな詠嘆の名歌です。
百人一首では、
内面の寂しさと自然が溶け合う和歌として、
感情の深さと普遍性の両面から
高く評価されています。
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良暹法師がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』背景解説–寂しさに立つでは、良暹法師がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 孤独に耐えきれなかった心
- 外に出ても癒えぬ想い
- 自然に投影される感情
孤独に耐えきれなかった心
ひとりでいることの寂しさに堪えきれず、
思わず宿を出て外の景色に
心を向けようとした心情が詠まれています。
外に出ても癒えぬ想い
風景を見れば気がまぎれるかと思ったのに、
どこを見ても変わらない秋の夕暮れに、
心の寂しさが返って深まります。
自然に投影される感情
夕暮れの景色そのものが、
孤独や無力感を映し返す鏡のように感じられ、
感情と風景がひとつになります。

この和歌では、ただ寂しいと言っているだけではありません。寂しさから逃れるように外へ出ても、世界は何も変わっていなかった――

またその事実に静かに打ちのめされるような感情が詠まれています。
良暹法師は、そんな心の動きを秋の夕暮れという普遍的な景色に重ねることで、人間の孤独そのものを詩的に結晶化させたのです。
読み方と句意


百人一首第 良暹|良暹法師 ※百人一首では良暹法師
歌:寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ
読み:さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆふぐれ
句意:この和歌では、寂しさに耐えかねて外に出たものの、どこを見ても変わらぬ秋の夕暮れが広がり、孤独感が深まったことが詠まれています。
「寂しさに立つ」――いまの私たちなら、どう感じるのだろう?
誰かに会いたい、どこかに行きたい。そんな気持ちで外に出てみても、世界は思ったより静かだった。「寂しさに立つ」とは、心が動いたその瞬間の感情に、そっと寄り添う言葉かもしれません。
- 何も変わらない景色がつらい
- 心に“夕暮れ”が差し込むとき
- 動いたことで気づくこともある
何も変わらない景色がつらい
どこかに行けば気がまぎれる。
そう思って動き出したのに、
目にするのは変わらぬ風景と沈んだ空。
また良暹法師が詠んだ
「いづこも同じ秋の夕暮れ」は、
そんな期待と現実の落差を
やさしく包むように伝えてくれます。
気持ちを切り替えようと外へ出ても、目に映る世界は思ったより無表情。寂しさだけが胸に残るときがあります。
心に“夕暮れ”が差し込むとき
夕方になると、なぜか無性にさびしくなる。
そんな経験は、誰にでもあるはず。
また「秋の夕暮れ」は、季節の静けさと
人の心の影が重なる時間です。
この和歌では、感情が景色と響き合う瞬間を
そっと切り取っています。
一日が終わるころ、心も沈む。夕暮れは、思い出や孤独を呼び覚ます時間帯なのかもしれません。
動いたことで気づくこともある
何も変わらなくても、
外へ出るという行為には意味があります。
それは、感情と向き合う第一歩かもしれません。
また「宿を立ち出でて ながむれば」という表現には、
自らの孤独に向き合う小さな勇気が
込められているようにも感じられます。
寂しいからこそ、動いた。でもその寂しさは、風景のなかで静かに輪郭を持ちはじめる。
百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』の楽しみ方
百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』背景解説–寂しさに立つでは、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 感情の始まりから読む
- 風景に心を映して読む
- 結句の余韻にひたる
感情の始まりから読む
この一首は、
心の静かな衝動から始まります。
また「寂しさに」の五文字は、
それだけで強い共感を呼ぶ言葉。
そこから「立ち出でて」
「ながむれば」へと進む流れに、
感情の揺れと人の自然な行動が
素直に表れています。
まずはその一歩に注目して読むのが
おすすめです。
「寂しさに」という詠み出しに、心の動きのすべてが込められています。感情が動いた瞬間を見逃さずに味わいましょう。
風景に心を映して読む
景色がただの背景ではなく、
心そのものを映し出す鏡のように
登場するのがこの和歌の美しさ。
また夕暮れの静けさや冷たさに、
読む側の気持ちまで溶け込んでいきます。
そして良暹法師の視点に寄り添うことで、
風景の中に感情が溶けていく感覚を味わえます。
「いづこも同じ秋の夕暮れ」という結句に、自分の心情が風景に投影されている様子がにじみます。
結句の余韻にひたる
「秋の夕暮れ」という結びは、
どこか余韻と諦めが入り混じった響きを
持っています。
またあえて詳しく語らず、
静かに景色の中に感情を溶かし込んでいく。
そして“言わない美しさ”を感じながら読むと、
和歌の余白を楽しむ心が育まれていきます。
「秋の夕暮れ」という言葉の響きに、言葉にしきれない感情の余白が残されています。
百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば」では、
耐えきれない孤独に背中を押され、
外へ出たときの情景を描いています。
また心を鎮めるために見上げた風景に、
期待とわずかな希望が感じられ、
感情の動きと行動の繋がりが自然に描かれた一節です。
五音句の情景と意味「寂しさに」


「寂しさに」では、胸の奥からこみ上げる、静かな孤独。そして言葉にできない想いが、ふと心を満たす瞬間です。
七音句の情景と意味「宿を立ち出でて」


「宿を立ち出でて」では、その寂しさに耐えきれず、夜の帳の中へと一人で歩み出す姿が浮かびます。
五音句の情景と意味「ながむれば」


「ながむれば」では、足を止めて見渡す景色に、心の中の空白を埋めようとする視線が感じられます。
下の句(7-7)分析
下の句「いづこも同じ 秋の夕暮れ」では、
場所を変えても、
見える景色は変わらないという
絶望にも似た静かな気づきを表しています。
またどこにいても心の孤独は癒えず、
夕暮れの風景がその想いをやさしく包み込む
ような余韻が漂います。
七音句の情景と意味「いづこも同じ」


「いづこも同じ」では、場所を変えても、景色も気持ちも変わらない。また世界に広がる静かな無常感がにじんでいます。
七音句の情景と意味「秋の夕暮れ」


「秋の夕暮れ」では、薄紅に染まりながら、ゆっくりと沈んでいく空。そしてもの寂しさと美しさが交錯する時刻です。
百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』和歌全体の情景


寂しさに耐えきれず、宿を出て外の景色を見つめる。けれど、どこへ行っても変わらない秋の夕暮れが広がっていた――。心の孤独と風景の静けさが溶け合い、世界全体がひとつの感情に染まるような瞬間が、淡々と詠まれています。
百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』まとめ
この和歌は、ふと心に押し寄せた寂しさに
背を押されて宿を出た作者が、
どこを見ても変わらぬ秋の夕暮れに、
逃れられない孤独を見いだす一首です。
また「いづこも同じ」という結句には、
場所も人も関係なく広がる
静かな諦念と普遍性がにじみます。

自然の風景を通して心の内を描くこの和歌は、誰の心にも訪れる“何も変わらない夕暮れ”の記憶をそっと呼び覚ましてくれるでしょう。

百人一首第70番 良暹法師『寂しさに』背景解説–寂しさに立つを百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。
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