百人一首第三十七番 文屋朝康『白露に』で、
和歌の世界を旅してみませんか?
この歌は、秋の野に降りた白露が、
吹きすさぶ風に煽られて玉のように
散る様子を詠んでいます。
今回ご紹介するのは、第三十七番『白露に』。この歌では、儚くも美しい自然の情景を、繊細な言葉で表現した一首です。

百人一首第三十七番 文屋朝康『白露に』を情景と背景から完全解説では、初心者の方にもわかりやすく、和歌の背景や楽しみ方を丁寧に解説していきます。

この歌を通して、百人一首をより深く味わうために、この和歌が持つ魅力を一緒に探っていきましょう。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第三十六番 清原深養父『夏の夜は』の記事も併せてご覧ください。
文屋朝康の生涯と百人一首の背景
生涯について


文屋朝康 – Wikipedia(生没年不詳)は、
平安時代前期の歌人で、六歌仙の一人
である文屋康秀の息子です。
また駿河掾や大舎人大允などの官職を歴任しましたが、
高位には就きませんでした。

そして寛平年間(889~893年)には「寛平御時后宮歌合」、893年(寛平5年)には「是貞親王家歌合」などの歌合に参加し、その歌才が評価されていました。
文屋朝康の父である文屋康秀も、百人一首第二十二番に和歌が収録されています。親子で選ばれた数少ない例の一つとして、平安和歌の魅力を感じることができます。ぜひ、文屋康秀の和歌も併せてお楽しみください!👉 百人一首第二十二番 文屋康秀『吹くからに』を情景と背景から完全解説
歴史的イベント
文屋朝康が活躍した平安時代前期は、
寛平御時后宮歌合や是貞親王家歌合などの
宮廷歌合が盛んに行われた時代でした。

また、この時期には宇多天皇が「寛平の治」と呼ばれる政治改革を推進し、菅原道真が台頭しました。

そして朝康も歌人として宮廷文化に関わり、その歌才を発揮していました。
他の歌について
文屋朝康は、『古今和歌集』にも
「秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ」
という和歌を残しています。
この歌では、白露を真珠に、蜘蛛の糸を糸に見立て、
露の美しさと儚さを表現しています。

一方、百人一首に選ばれた和歌では、風に吹かれ、散りゆく露の儚さがより強調されています。

どちらも秋の野に降りる露を題材としながら、静と動の対比が感じられるのが特徴です。
百人一首における位置付け
文屋朝康の和歌は、百人一首の中でも
秋の儚さを象徴する一首として知られています。
また白露を玉に例え、風によって散る情景を通じて、
無常観や自然の美しさを表現しています。
そして技巧的な比喩が特徴であり、
古今和歌集にも選ばれた名歌として、
平安時代の和歌の美意識を伝える重要な作品の一つです。
文屋朝康がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第三十七番 文屋朝康『白露に』を情景と背景から完全解説では、文屋朝康がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 白露の儚さを美しく表現するため
- 無常観を象徴する自然の情景
- 比喩表現による和歌の技巧の発揮
白露の儚さを美しく表現するため
白露は朝日に輝く一瞬の美しさを持ちながら、
すぐに消えてしまうものです。
またこの和歌では、その儚さを玉に例え、
さらに風によって散る様子を描くことで、
秋の移ろいゆく情景を巧みに表現しています。
そして平安時代の貴族たちは、
こうした一瞬の美を愛でる感性を
大切にしていました。
無常観を象徴する自然の情景
平安時代の文学には、
もののあはれや無常観が重要なテーマとして描かれます。
またこの和歌では、
白露がまるで糸に通されずバラバラに散る真珠のように、
風によって儚く消えてしまう様子を通じて、
人生のはかなさや運命の無常を表現しています。
比喩表現による和歌の技巧の発揮
この和歌の最大の特徴は、
「白露=玉」「風=それを散らす力」「草原=舞台」
という比喩の巧みさです。
また同じ白露を詠んだ歌でも、
蜘蛛の糸に通した真珠のように静かに並ぶものと、
風に散らされるものという対比を持たせることで、
異なる情景を描き分けています。

文屋朝康は、『古今和歌集』にも白露を詠んだ和歌を残しており、彼の詠んだ歌には秋の情景に対する鋭い観察力と、繊細な比喩表現が見られます。

また風によって散る白露を玉に見立てることで、単なる自然の描写ではなく、そこに儚さや無常観を込めるという、平安時代の和歌の美意識を感じ取ることができます。
この和歌は、比喩の巧みさが際立つ一首です。
読み方と句意


百人一首 文屋朝康
歌:白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
読み:しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまぞちりける
句意:秋の野に降りた白露は、風に吹かれて散り、まるで糸に通されず零れ落ちる真珠のように儚く消えていくと詠んでいます。
百人一首 文屋朝康『白露に』の楽しみ方
百人一首第三十七番 文屋朝康『白露に』を情景と背景から完全解説では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 白露と真珠の美しい比喩を味わう
- 秋の野の情景を思い浮かべる
- 儚さや無常観に思いを馳せる
白露と真珠の美しい比喩を味わう
白露を玉に例え、さらに
「つらぬきとめぬ(糸に通されていない)」ことで、
風に散る様子を真珠が零れ落ちるように表現しています。
和歌ならではの繊細な比喩表現を楽しみながら、白露が放つ一瞬の輝きを想像してみましょう。
秋の野の情景を思い浮かべる
この歌には、「白露」「風」「秋の野」という
視覚・触覚・季節感を感じさせる言葉が詰まっています。
朝日に照らされて輝く露が、風によって舞い散る静と動のコントラストを思い浮かべながら読むと、より情景が鮮明になります。
儚さや無常観に思いを馳せる
平安時代の和歌には、
もののあはれを感じる表現が多く、
この歌もその一つです。
白露が散る様子に人生の儚さを重ねることで、自然と人の営みの共通する無常観を読み取ることができます。時代を超えた感性を楽しむのも、この和歌の魅力です。
百人一首 文屋朝康『白露に』の情景と解説
上の句(5-7-5)
上の句「白露に 風の吹きしく 秋の野は」では、
朝露に濡れた秋の草原に、
絶え間なく風が吹きつけています。
また朝の陽光に照らされて輝く白露は、
風にあおられ、散りながら飛び交います。
そしてその様子は、まるで光を受けてきらめく玉が、
風に舞いながら落ちていくように見えます。
五音句の情景と意味 「白露に」


「白露に」では、朝露が野の草々に降り、太陽の光を受けて輝いています。また露のひと粒ひと粒が、まるで宝石のように瑞々しく輝きを放っています。
七音句の情景と意味 「風の吹きしく」


「風の吹きしく」では、風が絶え間なく吹き続け、野を揺らしています。また吹くたびに草葉の上の露が弾け、飛び散る様子が目に浮かびます。
五音句の情景と意味 「秋の野は」


「秋の野は」では、草花が咲き、黄金色に輝く秋の野が広がっています。また露をまとった葉が風にそよぎ、季節の深まりを感じさせます。
下の句(7-7)分析
下の句「つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」では、
風に吹かれた白露は、まるで糸に通されずに
零れ落ちる真珠のように散っていきます。
もし糸に通されていれば、
一つの首飾りのようにまとまりますが、
露はそうならず、ただ儚く消えてしまいます。
その様子が、無常観を強く感じさせます。
七音句の情景と意味「つらぬきとめぬ」


「つらぬきとめぬ」では、露は糸に通されず、ただ散っていきます。またもし糸があれば、美しい珠の首飾りになったかもしれませんが、それが叶わない儚さを感じます。
七音句の情景と意味「玉ぞ散りける」


「玉ぞ散りける」では、露の玉が風に舞い、あちこちへと散っていきます。またその光景は、まるで光を受けて輝く真珠が、風の中で飛び散るように見えます。
百人一首 文屋朝康『白露に』和歌全体の情景


和歌全体では、秋の野に降りた白露が、朝日に照らされて輝いています。しかし、風が吹きつけるたびに、その露は飛び散り、草葉の上を転がっていきます。まるで糸に通されることなく零れ落ちる真珠のように、露はまとまることなく散り、消えていきます。その様子は、美しくも儚く、まさに秋の訪れと共に移ろいゆく自然の無常を感じさせます。
まとめ
文屋朝康の和歌は、白露を玉に例え、
風に散る様子を通じて秋の儚さや無常を表現しています。
白露が風に吹かれて散り、
まるで糸に通されていない真珠のように
零れ落ちる光景は、自然の美しさと、
失われゆくものへの哀愁を感じさせます。

この和歌を通して、平安時代の人々が大切にしていたもののあはれの心を知ることができます。秋の風が運ぶ一瞬の輝きを、この和歌とともに感じてみてはいかがでしょうか。

百人一首第三十七番 文屋朝康『白露に』を情景と背景から完全解説を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。