百人一首第60番 小式部内侍『大江山』背景解説で、
和歌の世界を旅してみませんか?
第60番は、小式部内侍の「大江山」。
旅に出た父を想い、恋文のように綴られたこの歌には、
未だ見ぬ地への憧れと言葉の力への自信がにじみます。
宮中での一幕に秘められた、
若き歌人の才気と想いを感じてみましょう。
和歌の魅力をより深く理解するために、和歌と短歌の違いを学べる記事もぜひご覧ください。和歌の形式や表現の違いを学ぶことで、百人一首の味わいがより一層広がります。
また、百人一首の流れを追って楽しむことで、和歌の歴史や背景がより深く感じられます。そして前の歌をまだご覧になっていない方は、ぜひ百人一首第59番 赤染衛門『やすらはで』記事も併せてご覧ください。
小式部内侍の生涯と百人一首の背景
生涯について


小式部内侍 Wikipedia(999年頃〜1025年)は、
平安時代中期の女流歌人で、
百人一首第60番「大江山」の作者として
知られています。
また父は橘道貞、母は著名な歌人・和泉式部で、
母と共に一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えました。
そして彼女の代表作「大江山」は、
母の代作を疑われた際、
即興で詠んだ歌で、藤原定頼を驚かせ、
その才能を広く認めさせました 。

短い生涯ながらも、その才気と美貌で多くの貴族たちと交流を持ち、文学史に名を残しました。
歴史的イベント
小式部内侍は、
才色兼備の母・和泉式部の娘として知られ、
宮廷に仕えながらも和歌の才で
一目置かれる存在でした。
また和泉式部の奔放で情熱的な恋の歌に対し、
小式部内侍の詠歌は、
洗練された機知と優雅さが光ります。

特に百人一首の歌では、旅先から歌を届けた機転と巧みさが称賛され、親子二代で歌壇に名を残しました。

恋に身を焦がす母と、洒脱に恋を詠む娘――その対比が、宮廷文学の奥深さを教えてくれます。
母・和泉式部の情熱的な一首もあわせてご覧ください。
▶︎ 百人一首第56番 和泉式部『あらざらむ』背景解説–消えゆく夜の恋
恋に生きた母と娘、それぞれの言葉に宿る想いを比べてみるのも一興です。
他の歌について
小式部内侍は『続後撰和歌集』に、
「見てもなほおぼつかなきは春の夜の霞をわけていづる月かげ」
という歌を残しています。
この和歌では、
春の夜に差しのぼる月のかすかな光に、
恋しい人への思いを重ねています。

また小式部内侍らしい繊細な心の動きが、霞にたゆたう月影を通して詠み上げられており、恋のもどかしさと静かな期待感が感じられます。

百人一首の「大江山」の歌とは違い、こちらは情景と心情を溶け合わせるような抒情性が魅力です。
百人一首における位置付け
小式部内侍の歌は、
才気と機知に富んだ女性歌人の代表作
として知られます。
また母・和泉式部の情熱的な歌風とは異なり、
洒脱で優雅な才気が光る一首です。
そして古典教養や地理的なモチーフを
自在に操る力量が評価され、
百人一首においても際立つ存在感を放っています。
小式部内侍がなぜこの和歌を詠んだのか?
百人一首第60番 小式部内侍『大江山』背景解説–旅路の恋文では、小式部内侍がなぜこの和歌を詠んだのか?についてポイントを3つに分けてみました。
- 挑発への機知ある返し
- 女流歌人としての自己表現
- 地理と文学を融合した巧みな表現
挑発への機知ある返し
「母の代作では?」という周囲の疑念に対し、
自らの筆で即興的に詠み上げた歌とされます。
また巧みに地名を掛詞として織り交ぜ、
才気あふれる応答を和歌で示しました。
女流歌人としての自己表現
当時、女性が公の場で
詠むことに偏見があった中で、
自らの感性と実力を和歌に込めることで、
ひとりの歌人としての存在を明確にしました。
地理と文学を融合した巧みな表現
「大江山」「いく野」「天の橋立」など
地名を自然に盛り込みつつ、
旅と恋文を重ね合わせることで、
文学的・視覚的な奥行きのある一首に仕上げました。

この和歌では、才女として名を馳せた小式部内侍が、母・和泉式部の影に隠されがちな評価を覆し、自らの力量を和歌で証明した伝説的な一首です。

また地理や掛詞を駆使した巧みな表現は、彼女の即興力と知性を物語ります。
挑戦と誇り、そして詩への自信が凝縮された珠玉の和歌といえるでしょう。
読み方と句意


百人一首第 小式部内侍
歌:大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立
読み:おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて
句意:都から遠い「大江山」や「生野」を越える旅ゆえに、まだ母からの文も「天の橋立」も見ていない――という恋と地理をかけた句です。
百人一首第60番 小式部内侍『大江山』の楽しみ方
百人一首第60番 小式部内侍『大江山』背景解説–旅路の恋文では、この和歌の楽しみ方のポイントをこの3つに分けてみました。
- 地名の掛詞を味わう
- 母・和泉式部との詩才比較
- 謙遜と挑戦の心を読む
地名の掛詞を味わう
「大江山」「生野」「天の橋立」など、
実在の地名を用いながら、
旅の距離と恋の距離感を巧みに重ねています。
恋の行方と、まだ見ぬ文(ふみ)を掛けた言葉遊びの妙を楽しめます。
母・和泉式部との詩才比較
この和歌は、
母・和泉式部の才能に劣ると
評されがちな小式部内侍が、
自らの感性で魅せた一句です。
切なさと知性が織り交ざる一首として、文学的評価も高いです。
謙遜と挑戦の心を読む
「まだふみも見ず」では、
実際の文(手紙)だけでなく
歌の力量を問われたときの控えめな言い回し
にも聞こえます。
自信と奥ゆかしさが感じられる、心の機微を読むのも一興です。
百人一首第60番 小式部内侍『大江山』背景解説
上の句(5-7-5)
上の句「大江山 いく野の道の 遠ければ」では、
都から丹後国へ向かう旅路の長さを詠んだ句です。
また大江山と生野の地名が、
恋文が届かない距離感や心の遠さまでも象徴し、
そして女歌らしい切なさと機知がにじみます。
五音句の情景と意味「大江山」


「大江山」では、山の存在感が詩の冒頭を飾る。そして都と丹後を分かつこの山は、恋文が届かない隔たりを象徴するように、堂々と立ちはだかっています。
七音句の情景と意味「いく野の道の」


「いく野の道の」では、生野(いくの)を通る長い道のりを示す句です。また「行く」にも掛けて、恋の行方や文の行方までもが見えない遠さとして描かれています。
五音句の情景と意味「遠ければ」


「遠ければ」では、距離の長さだけでなく、心の隔たりまでも感じさせる句。また物理的な遠さが、恋文が届かない言い訳にも似ていて、淡い切なさがにじみます。
下の句(7-7)分析
下の句「まだふみも見ず 天の橋立」では、
恋文(文)も旅文(踏み)も、
まだ届かず訪れてもいないことを巧みに掛け、
また遠く離れた相手への思慕と
未踏の土地への憧れが重なり合います。
そして幻想的な地名「天の橋立」が
句を華やかに彩ります。
七音句の情景と意味「まだふみも見ず」


「まだふみも見ず」では、“文(ふみ)”と“踏み”を掛け、恋文も旅もまだ届かない状態を表します。会えぬ切なさと距離の遠さを、たった七音に込めた巧みな表現です。
七音句の情景と意味「天の橋立」


「天の橋立」では、遠いあこがれの地として詠まれています。そして遥か彼方の景色に、叶わぬ恋の象徴が重ねられています。
百人一首第60番 小式部内侍『大江山』和歌全体の情景


和歌全体では、旅路にある作者が、大江山や生野を越える道のりを重ねつつ、遠く離れた恋しい人からの文(ふみ)もまだ届かない現実を詠んでいます。見えない相手への思慕と、行き先の果てにある天の橋立が、切なさとあこがれを共に映し出しています。
百人一首第60番 小式部内侍『大江山』まとめ
小式部内侍のこの歌は、
母ゆずりの才気と若き感性が輝く一首です。
また旅路の景と文の縁を重ねることで、
届かぬ想いと切ない恋心が美しく響きます。
そして自然と感情が溶け合う和歌の醍醐味が、
ここに詰まっています。

自然と感情が溶け合う和歌の醍醐味が、ここに詰まっています。

百人一首第60番 小式部内侍『大江山』背景解説–旅路の恋文を百人一首の第一歩として、この和歌を味わうことで、和歌の魅力を発見してみてください。
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