高浜虚子『去年今年貫く棒の如きもの』の意味|時を貫くものとは?

高浜虚子『去年今年貫く棒の如きもの』の意味|時を貫くものとは?「去年今年 貫く棒の 如きもの」高浜虚子の俳句をイメージした画像 俳句

高浜虚子の『去年今年 貫く棒の 如きもの』には、年の移り変わりを越えて、何かが変わらず続いていくような感覚が詠まれています。

新しい年を迎えると、私たちは一区切りを感じます。しかし、この句では、去年と今年を一本の棒が貫くかのように、年の境目を越えて続くものが独特な比喩で表現されています。

本記事では、「去年今年」「貫く棒の」「如きもの」ということばを一つずつたどりながら、時を貫くものとは何か、この句ならではの意味と余韻を紹介します。

末吉
末吉

この句は、年の移り変わりを「貫く棒」という具体的な形で表現しながら、最後を「如きもの」と結んでいます。力強い比喩でありながら、何が貫いているのかを断定していないところが印象的ですね。

わたぼうし
わたぼうし

年が変わると、新しい一年が始まった気持ちになりますよね。でも、昨日までの暮らしや思い出がなくなるわけではありません。年が変わっても、続いていくものがあると感じられますね。

時の流れを見つめた高浜虚子とは?

高浜虚子は、正岡子規に学び、近代俳句の発展に大きな役割を果たした俳人です。「花鳥諷詠」を掲げ、自然や季節の姿を詠むことを大切にしました。

虚子の俳句には、目の前の景色を具体的に捉え、余計な説明を加えずに表現するという特徴があります。自然の小さな変化にも目を向け、限られたことばの中に豊かな世界を描きました。

一方で、虚子の作品は目に見える景色だけにとどまりません。身近な季節の変化をきっかけに、人間の生き方や時の移ろいへと思いを広げられる句もあります。

『去年今年』は、そうした虚子の作風の幅を感じさせる作品です。自然を具体的に描く俳人が、時間や人生という大きな主題にも向き合っているところに、この句ならではの魅力が感じられます。

高浜虚子の生涯や人物像について詳しく知りたい方は、Wikipediaの「高浜虚子」も参考になります。

『去年今年 貫く棒の 如きもの』とは

高浜虚子『去年今年貫く棒の如きもの』の意味|時を貫くものとは?「去年今年 貫く棒の 如きもの」高浜虚子の俳句をイメージした画像
高浜虚子『去年今年貫く棒の如きもの』の意味|時を貫くものとは?「去年今年 貫く棒の 如きもの」高浜虚子の俳句を記載した画像

去年今年 貫く棒の 如きもの

読み方:こぞことし つらぬくぼうの ごときもの

季語:去年今年(新年)

※「去年今年」は、大晦日の一夜を境に、去年と今年が入れ替わることを表す新年の季語です。

作成時期:昭和25年(1950年)12月20日、高浜虚子76歳の作品です。新年のラジオ放送に向けた俳句会の収録時に詠まれた句で、句集『六百五十句』に収められています。

※出典:『高濱虚子の100句を読む』、現代俳句協会など

句意:大晦日を境に去年から今年へと年が移り変わる。その境目を一本の棒が貫くように、途切れることのない時間の流れや、変わらず持ち続ける生き方や信念を感じさせる一句です。

句をことばごとに読む

『去年今年 貫く棒の 如きもの』を、上五・中七・下五に分けて読み解いていきます。

それぞれのことばが持つ意味や表現に注目しながら、目に見えない時間をどのように描いているのかをたどってみましょう。

上五「去年今年」

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「去年今年(こぞことし)」は、この句の季語で、新年を表します。

大晦日の一夜を境に、去年と今年が入れ替わることを意味し、古い年が終わり、新しい年を迎える瞬間を表したことばです。

昨日まで「今年」と呼んでいた年が、年明けには「去年」と呼ばれるようになります。その変化によって、年の境目がはっきりと意識されます。

この上五では、一夜にして年が移り変わるという変化が示され、続く「貫く棒の」という表現との対照が生まれています。

中七「貫く棒の」

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「貫く」とは、あるものを端から端まで突き通すことを意味します。

ここでは、去年と今年という二つの年を、一本の棒がまっすぐ貫いているかのような表現が使われています。

年は移り変わっても、その境目を越えて何かが途切れず続いている。「貫く棒」という具体的で力強い比喩によって、時間の連続性や、変わらず保たれるものが感じられます。

わたぼうし
わたぼうし

去年と今年の間を一本の棒が貫いているなんて、不思議な表現ですね。年が変わっても、途切れず続いていくものがあるように感じます。

末吉
末吉

「続く」ではなく「貫く」としたことで、単なる時間の流れだけではない、揺るがないものの力強さが伝わってきます。「棒」という飾り気のないことばを用いたところも、この句の特徴ですね。

下五「如きもの」

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最後に置かれているのが「如きもの」ということばです。

「如き」は「〜のような」という意味を持ち、実際の棒を描いているのではなく、何かを棒にたとえていることを示しています。

また、「もの」と結ぶことで、何を棒にたとえているのかを具体的に名指しせず、比喩として表現しています。

「貫く棒」と具体的な形を示しながら、最後に「如きもの」と続けることで、何を貫く棒にたとえているのか、読み手に想像の余地を残す表現となっています。

句全体の意味と情景

「去年今年」「貫く棒の」「如きもの」を一つに重ねると、この句には、年が移り変わっても、その境目を越えて何かが途切れず続いているという感覚が表れています。

「去年今年」で一夜にして年が入れ替わることを示し、「貫く棒の」という力強い比喩を経て、「如きもの」と結んでいます。そこには、途切れることのない時間の流れだけでなく、変わらず持ち続ける生き方や信念を重ねて味わうこともできます。

末吉
末吉

「去年今年」で年の変化を示しながら、「貫く棒」という揺るがないものを置いているところが印象的ですね。変わるものと変わらないもの、その対照がこの句の力強さにつながっているのでしょう。

わたぼうし
わたぼうし

年が変わると、新しい一年が始まった気持ちになりますよね。でも、昨日まで積み重ねてきたことや、大切にしている思いまで変わるわけではないんですね。

末吉
末吉

そうですね。「如きもの」と結ぶことで、何が貫いているのかを一つに決めず、時間の連続性や変わらない信念など、読み手が思いを巡らせる余地を残しているとも読めます。

年の移り変わりと、それを越えて続くもの。「貫く棒」という力強い比喩によって、時間の連続性や変わらない信念を感じさせる一句です。

この句をもっと楽しむ3つのポイント

『去年今年 貫く棒の 如きもの』には、年の移り変わりを越えて続くものへの思いが込められているように感じられます。ここでは、年の境目、力強い比喩、変わらない信念という3つの視点から、この句の魅力をさらに味わってみましょう。

この句をもっと楽しむ3つのポイント
  • 年の境目に流れる時間を感じる
  • 「貫く棒」が生み出す力強さを味わう
  • 時を貫くものとは?変わらないものに思いを巡らせる

年の境目に流れる時間を感じる

大晦日から元日へと日付が変わると、私たちは新しい一年が始まったことを実感します。昨日までの出来事が「去年」のこととなり、目の前には「今年」という新しい時間が広がります。

しかし、実際の時間に区切りができるわけではありません。時計の針は止まることなく進み、昨日から今日へと日々は続いていきます。

年が変わるという大きな節目と、途切れることのない時間の流れ。 この二つを重ねて味わうと、「去年今年」という短いことばにも、普段は意識しない時間の不思議さが感じられます。

この句を読むことで、毎年当たり前のように迎える新年を、少し違った角度から見つめられるかもしれません。

「貫く棒」が生み出す力強さを味わう

時間の流れを表すなら、「流れる」「続く」といったことばも考えられます。しかし、虚子はここで「貫く棒」という、硬くまっすぐなものを思わせる表現を用いています。

流れる水のような柔らかさではなく、年の境目を越えても揺らぐことのない、一本の軸のような力強さが感じられるところが特徴です。

また、「棒」という飾り気のない日常的なことばを使っていることにも注目です。

難しい概念を説明するのではなく、誰もが形を思い浮かべられるものにたとえることで、時間や人生という抽象的な主題に確かな手応えが生まれています。

末吉
末吉

「流れる時間」と「貫く棒」では、受ける印象が大きく違いますね。変わりゆく年に対して、揺るがず続くものを感じさせるところが、この比喩の面白さだと思います。

わたぼうし
わたぼうし

「棒」という身近なことばなのに、年を越えて続いていくものを想像すると、ずいぶん大きな意味を持っているように感じますね。

時を貫くものとは?変わらないものに思いを巡らせる

この句の「貫く棒」が何を表しているのかは、具体的に示されていません。

時間が途切れることなく続いていく姿として読むこともできますが、年を重ねても変わらない生き方や、自分の中に持ち続けている信念を重ねて味わうこともできます。

人は新しい年を迎えるたびに、さまざまな目標を立てたり、これまでの自分を振り返ったりします。暮らしや環境が変わることもあるでしょう。

それでも、長い時間をかけて大切にしてきた思いや、自分なりに守り続けているものがあるかもしれません。

「貫く棒」をそのようなものとして受け止めると、この句は単に時間の流れを表すだけでなく、人生を振り返るきっかけにもなります。

何が自分の中で変わらず続いているのか。 その答えを一つに決めず、読み手それぞれが思いを巡らせられるところにも、この句の奥行きが感じられます。

まとめ

この俳句は、去年から今年へと年が移り変わるなかで、途切れることなく続いていくものを、一本の棒にたとえて描いています。

また、「貫く棒」という力強い比喩によって、時間の連続性だけでなく、変わらず持ち続ける生き方や信念にも思いを広げられます。

高浜虚子の大胆な表現が、年の境目を越えて続くものの存在を感じさせ、読む人それぞれに異なる余韻を残す一句です。

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